なぜ、今日の個所は、このように長いのか、疑問をもちました。内容的には、エルバアルの子のアビメレクが、エルバアルの息子、つまり、自分の兄弟70人を皆殺しにして、自分が王となる出来事です。ただ、70人のうち、ヨタムという末子だけは難を逃れました。アビメレクのやり方にしても、身内のものに取り入り、ごろつきをやとい、3年間もイスラエルを支配しました(22節)。詳しい記述がありますが、なぜ、これほど詳しい情報が必要なのか、良くわかりません。ただ、現実は、このようなことが起こる世界であるということは教えられます。なぜ、3年間もという思いが残ります。

義人アベルが殺された時も、なぜ、カインが生き残ったのか、さまざまな疑問があります。しかし、主のみこころは、私たちとは異なる事、さらに、主のみこころは、私たちの思いや考えを遙かにこえていること、主は公平な方であり、主の裁きは完全であることを知っています。ですから、このアビメレクの所業も、なぜ、3年間も王となることが許されたのか、主にお委ねする以外ありません。

7節~20節において、ヨタムがゲリジム山頂で語ったメッセージが記されていますが、これは主が、ヨタムを用いて、主のみこころを伝えたと理解されます。主は放っておかれるのではなく、確かに語られています。主のみことばに耳を傾けるかどうかは、結局、私たちの決断です。自分たちの都合で、ある時は、主のことばを選んだり、また、事情が変わると、よこしまな人たちのことばを選んだり、自分の都合で、自分の益になる方を選ぶ生き方は、ある意味、主体的な生き方に見えますが、それは堕落した人間の生き方です。

アビメレクとは、「私の父は王」という意味です。自分が生れた時に与えられた名前ですが、ある意味、将来を決定づけた名前でした。兄弟70人を殺しても自分は王となるという、野心をもたせたようです。アビメレクは、父の外面だけをみて、内面を見てはいなかったようです。一方、ヨタムは、父の内面を見ていた人のように思います。

私たちも、天の全能なる神は、私たちの父であり、私たちは神の子です。外面ではなく、父の内面、みこころを知る必要があります。そのためにこそ、御子イエス様、みずから、父なる神様のことをお話しして下さいました。山上の垂訓のメッセージは、まさに、天の父なる神様の内面を私たちに知らせているように思えます。「心の貧しいものは幸いです。天の御国はそのひとのものです」。父のみこころは、外面ではなく、私たちの内面が父なる神のみこころに似ることです。私たちの霊が、御子の栄光によって変えられることです。

清宣教師