1節―9節:ギブオンで最初に語られた主のことばは、祝福が中心でしたが、今回は警告のことばが含まれています。このあと、11章に入ると、その警告が必要不可欠のものであったことが分ります。しかし、ソロモンは、この警告の言葉を繁栄の中で軽視し、忘れていきました。私たちにとっても、このことは大きな誘惑です。物事が順調に進んでいると、次第に主のことばから離れてしまう誘惑です。
10節―28節:ソロモンは主の宮と王宮の二つの建設を20年かけて完成しました(10節)。そのあと、ソロモン王は、主の宮と王宮の建設に当たり過ぎの木材、もみの木材、また金を用立てたツロの王ヒラムに、ガリラヤにある20の町々を与えました。しかし、その町はヒラムにとって「ないのと同じ」ようなものでした。どうやら、ソロモンは豊かな繁栄の中で、ヒラムに対する感謝の念を十分に表すことをしなかったようです。ヒラムは、後でそれらの町を返しています(歴代誌第2、8章2節)。ダビデ時代のヒラムとの関係が微妙に変化していった様子がうかがわれます。これも、また私たちにとって教訓を与えています。困っている時は心を込めてお願いするのですが、物事が解決して順調になると、その恩を忘れてしまうのです。豊かになっても変わらない感謝の心こそ、感動です。
さて、その後も、ソロモンは、倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々など、ソロモンが描いていたビジョンをすべて実行しました(19節)。さらに、エツヨン・ゲベルに船団を設けて交易を始めました(26節)。これらの国家的な大プロジェクトは、国民の士気高揚、経済繁栄、強固な監督体制のもとで実現したわけですが、やがて、これらを維持することが次世代の人たちへの大きな財政負担を強いることになり、次第に崩壊していくことになります。その原因は、主なる神にではなく、金や倉庫、戦車や騎兵など、人間的なものに依存していったからです。この事も、私たちに大事な教訓を与えています。物事がうまくいきはじめると、自分の力や能力、資産などに、心が傾いていく傾向があることです。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにとって変わりはありません」と告白して、百万の敵の大軍にあたったアサ王であっても、物事がうまくいきはじめた時、主への信仰からそれてしまいました(歴代誌第2、14章11節と16章7節~10節の比較)。それは細い道です。みなが行く大路ではありません。しかし、主は最後まで、主に対して誠実であることを願っておられます。
清宣教師