いよいよ、偉大な預言者エリヤが、地上での使命を終えて、天に凱旋する日が来ました。
イエス様も、この地上生涯を終えて、天に上げられる日が近づいたとき、こう祈られました。
「父よ。時が来ました。・・・あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。今は、父よ。みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。・・」(ヨハネの福音書、17章1節~5節抜粋)。
預言者エリヤも、この地上でのすべての使命を成し遂げて、神の栄光を現し、いま、地上での労苦から解放されて天に上げられる日が来ました。
そのことは直弟子のエリシャだけでなく、ほかの弟子たちも知っていたようです。エリヤは、エリシャをなんとか自分から引き離そうとしますが、エリシャはそれを拒みます。3度にわたり、エリシャは、エリヤのことばを拒み、エリヤについていきました。通常は、弟子であるエリシャが、師であるエリヤに従うべきですが、エリヤが語ったことばは、主のみこころではないとエリシャには分っていたのだと思います。むしろ、エリヤはエリシャがついてくるかどうか試したようにも思われます。
私たちも、このような時、判断が難しいですね。おそらく、エリシャには強い思いが与えられていたのだと思われます。エリシャは、エリヤに、「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」と言いました。「こうして、ふたりは進んで行った。」(6節)と描写されています。ヨルダン川を前にして、エリヤとエリシャのふたりが、最後の別れを意識しながら共に歩いて行きました。エリヤは、外套をとり、それを丸めてヨルダン川の水を打ちました。すると、水が両側に別れて、ふたりはかわいた土を渡りました。出エジプトの時と同じような奇跡が起こりました。エリヤは最後の別れに際して、エリシャに「何をしてほしいのか、求めなさい、」と言いました(9節)。それで、エリシャは「あなたの霊のふたつの分け前が私のものになりますように」と願いました。エリシャには、エリヤの後継者としての自覚があり、その重い責任のゆえに、大胆に、2倍の分け前を求めたと思われます。
その直後、エリヤは火の戦車にのって天へ上って行きました。
ところで、映画、『炎のランナー』の原題は Chariots of Fireです。ミルトンの序詞にある、エリヤが火の戦車に乗って地上を見下ろすシーンから取ったものです。その最後の一行が、Bring me my chariot of fire! 「わが炎の戦車をもて」となっています。
創造論宣教の『炎のランナー一座』に関連があると知ると、なにか、親しみのある個所となりました。私たちには、この地上での使命があります。その使命を担って、この地上生涯を終える時、天の御国に凱旋するものとなります。炎のランナーです。
エリヤの後継者として、エリシャは、すぐに、預言者としての働きを始めました。『禿げ頭』とからかわれて、こどもたちを呪った時、42人の子供たちが二頭の雌熊に襲われました。おそらく、子どもたちの嘲りのことばは、エリシャに対してではなく、主なる神に向けられていたと考えられます。
清宣教師