先ほど、歩道をあるいていましたが、両方の車線とも、車がひっきりなしに走っていました。ところが、横断歩道のところへ来たとき、右手を見たら100mくらい向こうで先頭の車が左折のため一時停止し、左手を見たら100mくらい向こうで先頭の車が右折のために一時停止し、横断歩道のところから左右100mほど、車の動きが堰き止められて、その真ん中をゆっくりわたることが出来ました。あたかも、ヨルダン川の水が左右で堰き止められて、乾いた地を渡るエリヤとエリシャのような心境でした(笑)。
いよいよ、ナアマン将軍の癒しの個所です。ひとりのイスラエル人の若い女性が、大胆に、主を証しました。そして、それはナアマン将軍の心を動かし、イスラエルの地へ癒しを求めて旅をすることになりました。その旅の終着点は、預言者エリシャのところでした。ナアマン将軍は、立派な馬と戦車をもって、威風堂々、預言者の家を訪ねました。ところが、預言者エリシャは、ナアマン将軍に直接会おうとせずに、主のことばを伝えただけでした。その内容は、「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元通りになりなってきよくなります。」(10節)というものでした。それを聞いたナアマン将軍は怒って帰国の途につこうとしました。しかし、しもべたちがナアマン将軍に近づいて、必死で説得しました。その結果、ナアマン将軍は、しもべたちの勧めにしたがい、ヨルダン川に七たび身を沈めました。そうすると、彼のからだは元通りになり、幼子のからだのようになり、きよくなりました(14節)。この出来事を通してナアマン将軍は主を礼拝する者へと変えられました。一方、エリシャのしもべゲハジは、欲望にかられて罪を犯して、ツァラアトに冒されてしまいました。
今回の出来事を読んで気づいたことは、ナアマン将軍の妻は、捕虜の、しかも若い女の勧めに耳を傾け、ご主人にアドバイスしました(2節、3節)。一方、ナアマン将軍も、激しい怒りの中でも、しもべたちの勧めに耳を傾け、そのアドバイスに従いました。このことを読むと、このナアマン将軍は、夫婦ともに、捕虜の若い者や、自分に仕えるしもべたちの意見を聴く柔軟な心をもっていたことが分ります。このような柔軟な心が、結局、主の前に、とてつもない大きな課題であったツァラアトの病を解決していただくことにつながりました。私たちも、柔軟な心を持つことが大切であることを教えられます。
そのほか、多くの示唆を与えられる個所ですが、明日の第1礼拝、第3礼拝で、堅先生がこの箇所からメッセージされますので、明日のメッセージを待ち望みます。
私は明日は天童聖書バプテスト教会の礼拝で、「私たちのいのちのルーツ」と題して、創造主からいのちをいただいたことを宣教してきます。天童教会の兄弟姉妹が、みことばの確信に満たされますように、求道者の方が決心へと導かれますように、そして、私たちの往復の道が守られますようにお祈りしていただけましたら、幸いです。明日、午前8時半に西多賀教会を出ますが、予報では、かなり寒いようで、高速道などにおける凍結が心配です。朝から温和な気候でありますように、お祈りいただけると感謝です。
清宣教師