昨日の聖書箇所では、主の恵みにより、イスラエルがアラムに対して、大逆転勝利を収めました。その勝利は、イスラエルの軍勢によってもたらされたものではなく、100%、主のみわざによるものでした。つまり、主がアラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせられたことによるものでした(7章6節)。私たちが絶対絶命の窮地に陥ったとしても、決してあきらめてはいけないことを教えられます。創造主なる神は全能の神です。主が御手を動かされる時、どんなに窮地に追い詰められたとしても、主は私たちを救うことがおできになります。それは同時に、これだけの奇蹟を体験したイスラエルが主に立ち返る機会ともなるはずでしたが、イスラエルは完全には主に立ち返りませんでした。私たちも、大きな奇蹟を体験したなら主への信頼を大きく膨らませる機会としましょう。
今日の聖書箇所では、前半は、あのシュネムの女(列王記第2、4章8節~37節参照)が、再び登場します。主は預言者エリシャを通して、シュネムの女と家族を7年間の飢饉から救い出すため、しばらく、外国に行くことを勧めました。そして、7年が終わり、イスラエルに帰ってきて、この女が自分の家と畑を取り戻そうとしたとき、主は絶妙なタイミングで、エリシャのしもべゲハジに、王の前で、そのシュネムの女の子どもがエリシャによって生き返らせてもらった証しをさせていました。そこにシュネムの女が王の前に訴えに出たので、すべては、最短で最良の結果を得ることが出来ました。主は、ひとりの女とその家族のことを、いつも、覚えておられたことを示しています。聖書には、いちいち、名前が記されていなくても、この女性と家族のように、主は私たちと家族を覚えておられるという証しです。
後半(7節~29節)は、アラムの王が、ベン・ハダデからハザエルに、ユダの王が、ヨシャパテからヨラムに、さらにヨラムからアハズヤに変わりました。こうして、王は変わりましたが、主の哀れによりダビデ王家は存続しました。イスラエルの王も、アハブからヨラムに変わりましたが、アハブ王家が存続しました。しかし、明日の9章で、イスラエルのアハブ王家は、主の裁きにより断絶することになります(9章1節~26節)。主は、イスラエルの最悪の王といわれるアハブに対しても、その子のヨラムに対しても大きな憐みにより、大きな奇蹟を示されました。それは主がまことの神であるという大きなしるしでした。それにもかかわらず、主のもとへ返らないことは、最終的に滅びを招くことになりました。
今日の一日、秋晴れのもと、創造主への信頼を増し加えられる機会となりますように。
私たちの周りには、主の御手による、たくさんの出来事があります。
私たちの霊の目をふさいでいるウロコが落ちて、日々、主の御手のわざを見ることが出来ますように。
主よ、信仰を増し加えてください。
清宣教師