落葉(らくよう)の あとに残るは 小さな芽 春の備えの 確かな証し

きょうも、笊川の散歩に出かけました。すると、桜並木のところの道路には、たくさんの落ち葉が敷き詰められていました。目をあげて、桜の木々の枝をみると、葉はすっかりなくなり、枝には小さな芽がついておりました。これらの芽は、来年の春を待つ備えの証しだと思いました。今年の厳しい冬の寒さを耐えて、来年の春には美しい桜の花を咲かせてくれのです。人間も60台(?)を過ぎると、しわが出来始めますが、脱皮の準備かも?という思いがしました。芋虫が脱皮するとき、古いからだの表面がしわしわになるのを思い出したのです。復活の朝には、この古い肉体を脱いで、栄光のからだを着せられるのです。ハレルヤ。