これまでも同じでしたが、今日の個所も、北イスラエルの王の年代をもとに、南ユダの王の即位が記されています(16章1節)。一方で、南ユダの王の年代をもとに、北イスラエルの王の即位が記されています(17章1節)。このように北イスラエル王国と南ユダ王国の歴史は、二本の糸が撚り合わされるように記されています。もともと、北イスラエルも南ユダも、一つの神の民であることを表しています。神のみこころは明確でしたが、民たちの頑なさのゆえに、ふたつの王国は、ひとつとなることなく、やがて、それぞれ、北イスラエルはアッシリヤへ、南ユダはバビロンへ捕囚の民となるのです。しかし、終末時の時代には、北イスラエルと南ユダのふたつの民はひとつとなると、預言されています。そして、1948年5月14日、イスラエル共和国が誕生しました。全世界から12部族の人たちが祖国へと帰還するようになりました。そこで、やがて、イエス・キリストをメシヤとして迎える時がくるのです。
さて、南ユダ王国の王でありながら、アハズ王は、主の目にかなうことをせず(2節)、むしろ、北イスラエルの王たちの道をまねて、異邦の民の忌み嫌うべき宗教を持ち込んだのでした(3節)。王だけでなく、祭司もまた、王と共に異邦の民の宗教を主の宮に持ち込んだのでした(10節~16節)。めずらしい表現があります。「祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じた通りに行った」(16節)。通常、このような表現は、「彼は、すべて主が命じられた通りに行った」と記されるべきものです。ノアも、モーセも、サムエルの場合もみな、そのような表現でした。南ユダの祭司であるウリヤは、もはや、王の権力を支える勢力の一部になっていたようです。その意味では、北イスラエルの祭司と本質的に変わらない存在となってしまったようです。本来は、王と祭司と預言者は、それぞれ主が任命するものたちで、三権分立でバランスを取る、秩序ある体制であったはずです。しかし、列王記を見て分かるように、時代が進むにつれて、祭司も、預言者も、王の権力のもとに、主に仕えるよりも、この世の王に仕える者となっていきました。
まとめますと、南ユダのアハズ王が、主に仕えることをやめた時、いとも簡単に異邦の民の忌むべき宗教に従う者となりました。私たちも、創造主である神を礼拝することをやめる時、いとも簡単に偶像礼拝に陥ってしまう恐れがあることです。
創造主なる神を礼拝するところに留まることが大事です。天と地と海と水の源を創造された神を黙想して、その偉大な愛と恵みに心を通わせ、その臨在に憩うことの喜びを知ることです。私たちはまことの畏敬と尊敬をもって、創造主なる神様を愛し、その聖と愛と義と偉大さの前に、私たちのすべてをもって、主をほめたたえるものです。きょうの一日を主におゆだねします。
清宣教師