20章では、ヒゼキヤ王が死に至る病の床についていましたが、ヒゼキヤ王が主に嘆願して15年間、寿命を延ばしてもらいました。しかし、その奇蹟はヒゼキヤ王を慢心させる結果になり、バビロンによるエルサレム滅亡の預言を引き出すことになりました。さらに、15年の延命により、マナセが誕生し、ヒゼキヤのあと、マナセ王は55年間の長期の王権をふるいました。しかも、ユダ王国史上、最悪の王でした。マナセ王の治世によりバビロンによる滅亡が決定的となりました。このような経過をみると、ヒゼキヤ王が願った15年の延命はむしろマイナスをもたらしました。そのような意味では、主の御計画を受け入れることは、人間(ヒゼキヤ)の目には最悪でも、ほんとうは最善最良の計画であると教えられます。
21章では、マナセの次の王が誕生しましたが、アモン王もまた、マナセ王のように主を捨て、主の道に歩もうとはしませんでした。アモン王は、家来の謀反によって倒れました。
22章では、ヨシヤ王が誕生します。8歳で王となり、31年間、エルサレムで王でした。驚くことに 、ヨシヤ王は、マナセ王やアモン王とは異なり、主の目にかなうことを行う王でした。不思議なことですが、善王から必ずしも善王がうまれるとは限らないこと、しかし、逆に悪王から悪王がうまれるとは限らないことも事実です。マナセを祖父、アモンを父とするヨシヤ王が、主の前に歩むことを決意し、26歳のときに、主の宮の修理を実行に移しました。そのとき、大祭司が、主の宮で律法の書を見つけました。なんというタイミングでしょう。主には主の計画があり、必要なときに、必要な物を与えてくださいます。ヨシヤ王が最も必要としていた主の指針である律法の書を与えられたのです。その律法の書を読んだとき、マナセ王やアモン王がしたことが、どれほどの悪事であったかを知りました。また、南ユダも主に対して罪を重ねてきたことを明確に理解しました。それで、早速、祭司を預言者フルダのもとに遣わしました。そして、主のみこころを求めました。主は預言者フルダを通して答えを与えられました。それは、ヨシアの悔い改めと願いについて受け入れたという内容でした。ヨシヤ王の素晴らしさは、先祖代々の王たちの偶像崇拝の罪を自分のこととして悔い改めたことでした。また、明日の23章に記されていますが、悔い改めを全国民レベルまで広げたことです。
今週の礼拝でメッセージさせていただきましたが、こどものからだは、両親の染色体の設計図に基づくものですが、人格(霊)は創造主なる神様からのものです。両親がどうであろうとも、こどもの人格は別です。ひとりひとり、それぞれ、いのちを与えて下さった神様に真摯に応答することが求められています。イエス様の救いにあずかり、水と聖霊のバプテスマにより新生される必要があります。
両親は、神様から預けていただいた子供たちを、永遠の救いに導く特権を与えられています。
きょうも、主の守りがありますように。
清宣教師