今日の夜は燭火礼拝(19時半から)ですね。天候が守られてみなさん、無事に、燭火礼拝に来られるようにお祈りいたします。
さて、きょうの19章は、ダビデが、「・・・・」と考えた(2節)ことが発端となって戦争にまで発展してしまいました。確かに、お悔やみを言うのは、時にかない、これまでの親交に応えるものだったに相違ありません。しかし、良いこと(=イコール)私たちがやるべきこととは限りません。親切な行為が、逆に、誤解されて仕返しを受ける時もあります。すべてに、主の導きが必要であることを痛感します。
一方、ハヌンもまた、アモン人のつかさたちのいうことを鵜呑みにして、自分の国を戦争に巻き込み、しかも、大敗してしまうという、大失敗を犯してしまいました。ハヌンは、一国の王として、もっと慎重に調べ、的確に判断することが求められていたように思われます。もうひとつ、ダビデとナハシュの間には信頼関係があったとしても、世代が変われば信頼関係も変わるということのようです。そういう意味では、世代の交代に応じて、新しい信頼関係の構築が必要であることを教えられます。もちろん、ダビデもその意味で、ナハシュの子のハヌンに使者を送ったのだと思いますが、どうも、適切なことではなかったようです。
私たちも、クリスマスには、お互いにプレゼントを贈ったり、お歳暮やご年始という習慣があります。そのような中にも、適切でなければ、誤解を招いてしまう恐れがあります。贈り物を選ぶにも、また、お祈りが必要です。また、お互いに善意でしたことが誤解を招くことがないようにお祈りしていきましょう。
クリスマス、父なる神様のプレゼントはひとり子のイエス様でした。父なる神の愛は完全であり、真実です。
それでも、人々は誤解をして、なかなか、受け取ろうとしないのも現実です。
今晩、クリスマスの燭火礼拝に集う未信者の方々が父なる神様の愛を素直に受け取ることが出来ますように、お祈りいたします。
清宣教師