南ユダの王、ヨシャパテは主が共におられたので(17章3節)、南ユダ王国は繁栄しました(18章1節)。しかし、ヨシャパテは最大の失敗をしました。それは、北イスラエル王国の王アハブ(王妃イゼベル)との間に縁を結んだことです。具体的には、アハブの娘アタルヤを自分の息子の嫁としてもらったことです。のちに、アタルヤは、ダビデ王家に大きな災禍をもたらします(22章10節)。
ヨシャパテは人柄のよい王様でした。それゆえに、北イスラエル王国との間にも友好関係を築きたいと考えたようです。ヨシャパテは、北イスラエルの王アハブのもとを訪れた時、アハブから大歓迎を受けました。しかし、その裏には、ヨシャパテに、自分と軍事同盟を結んでほしいという魂胆がありました。
ヨシャパテ王はここでもお人好し(?)のゆえに、アハブの申し入れを受諾して、アハブと共に戦地に出かけることにしました。しかし、ヨシャパテ王は、出陣する前に、主のみこころを求めるために預言者に聞くことを提案しました。それで、アハブは、お抱えの預言者400人を召し出して預言させました。彼らは、アハブ王の宮廷お抱えの御用預言者であり、400人全員が勝利を宣言しました。
しかし、ヨシャパテはそれで満足せず、ほかに主の預言者がいないかどうかを尋ねました。そこで、アハブは、もうひとり、主の預言者イムラの子ミカヤがいると答えました。しかし、ミカヤはいつも悪い預言ばかりするのでミカヤは嫌いであると付け加えました。それに対して、ヨシャパテは、「王よ。そういうふうには言わないでください」と応答しました。つまり、王たるものは預言者のことを好き嫌いで判断しないという意味です。
それで、ミカヤが呼ばれると、ミカヤは、主のことばを宣言しました。それは、王が戦死して、兵士たちは、飼い主のいない羊のようになることを預言しました(16節)。ところが、ヨシャパテは、その預言にもかかわらず、アハブとの関係を大事にして、戦場に向かってしまいました(20節参照)。
ヨシャパテ王は、主のみこころを大事にしようとするのですが、人の好さのゆえに(?)、つまり、人間関係を重視してしまい、あやうく、戦死するところでした。しかし、主の憐みのゆえに(18章31節後半参照)、いのちはなんとか助かりました(19章1節)。
今日の個所では、人柄のよい、主に従うヨシャパテ王が、その人柄の良さのゆえに、主のみこころに背く選択をしてしまったことが指摘されています。私たちも、人間関係を重視するあまり、主のみこころに背く道を選択する危険があることを示唆しています。
ふつうは、人間関係を重視することにより、人間関係がうまくいきます。そして、周りの人から受け入れられ、尊重されます。しかし、それが逆に周りの人と異なる意見を述べたり、異なる判断をすることを難しくしてしまうというのがサタンの罠です。主に従うためには、ふだんから、ひとりぼっちになることも恐れない心が必要です。
清宣教師