ウジヤの時代というのは、約400年のダビデ王朝のほぼ真ん中の時代に位置しています。それで、注解者の中にはウジヤ王のことを、ダビデ王朝の中興の名君と呼んでいる人もいます。52年の長い治世でした。彼は主の目にかなうことを行った(4節)と記されています。それゆえに、主はウジヤ王を栄えさせ、ウジヤ王が治める南ユダ王国を繁栄させました。領土も広がり、民衆の生活が平和で安定していました。とくに、ウジヤ王は、歴代の王様とは異なり、果樹や畜産に関心を示し、農業の振興に多大な力を発揮しました。兵器においても創意工夫を凝らして、その名声は遠く外国の地にまで及んだようです(15節)。名君と呼ばれるにふさわしい人物でした。
ところが、またまた、次のような文章に出くわします。「しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入った。」(16節)。なんとまた、ウジヤ王も高慢になり、主の戒めを破り、祭司ではないにもかかわらず、主に香をたこうとして神殿に入りました。しかし、祭司アザルヤをはじめ、主に仕える80人の祭司たちがそれを阻止しました。それに対して、素直に聞いて、過ちを改めれば済んだことなのですが、王としての権力に慣れ親しみすぎたのでしょう、祭司たちの助言を聞こうとせずに、主によって打たれてしまいました。ウジヤ王は、ツァラアトに冒されて神殿から追い出されました。それだけでなく、王宮からも追い出されて隔離されました(21節)。また彼の死に際しても、王家の墓ではなく、王家所有の野の墓地に埋葬されました(23節)。
人間的には、とても素晴らしい業績を残しているのですが、主から退けられました。ウジヤ王は、主の御力により頼み、主に栄光をお返ししていたのですが、治世が進むにつれて、家来や人々の賞賛に慣れてきて、ついには、南ユダ王国の繁栄は自分の手によるものと錯覚するようになり、最後には、それを信じて疑わなくなったようです。ですから、自分は最高権力者として、何をしてもよいという生き方をするようになったと思われます。
これは世の常である、と思われます。どんなに立派な人でも権力を握ると人が変わると言われています。私たちクリスチャンも、信仰生活が長くなるにつれて、目をさます必要があります。いつのまにか、高慢になってしまうからです。ペテロも、イエス様から誉められた途端に、態度がでかくなり、イエス様をつかまえて諌めるようなことをしました。そこで、イエス様から「サタン下がれ」と言われてしまいました(マタイ16章17節-18節、22節―23節参照)。
私たちにとって、一番危険なのは、失敗ではなく、成功です。成功したあとに、サタンが誘惑します。イエス様も40日40夜という困難な断食に成功した直後、サタンの試みにあわれました(マタイ4章2節、3節)。
私達は物事がうまくいったときこそ、余韻にひたらず、即座に主に栄光をお返しする習慣を身に付ける必要があります。「すべてのことは、私ではなく、主よ、あなたのみわざです。主よ、感謝します。」
清宣教師