時は移り、ヨタム王に代わって、アハズが王となりました。20歳で即位し、16年間在位しました。

アハズ王は、主の目にかなうことを行わず、イスラエルの王たちの道に歩み、バアル礼拝を始めました。それだけでなく、さまざまな異教の神々への祭壇を築きました。そこで、主の裁きがあり、アラムの王の手で、南ユダから多くの財宝が持ち去られました。さらに、北イスラエルにも打ち負かされて大損害を受けました。そのとき、北イスラエルは南ユダの同胞20万人を戦利品として北イスラエルに連れ去りました。

しかし、そこに主の預言者オデデが現われて、南ユダの同胞を奴隷としてはならない、もし主の命に従わないなら、イスラエルの上に主の激しい怒りが下る、と警告しました。それに対して北イスラエルのエフライム族のかしらたちが、主のみ心に従い、いくさから帰ってきた者たちに、主の命に従うように命じました。武装した者たちも、主の命に従い、ただ南ユダの者たちを返すのではなく、ひとりひとりに心を配り、手厚くいたわり、返しました(15節)。イエス様の良きサマリヤ人の例え話を思い出させるものです。主の憐みはまだ、南ユダの人たちの上に注がれていたのです。

11節のみことば、「あなたがた自分の同胞をとりこにしたそのとりこを返しなさい」を読む時に、連想することがあります。それはイスラム国の指導者が、日本人の後藤さんを、主の前には同胞であることを覚えて解放し、安全に日本に帰すようにとの願いです。主は全能者でおられます。主の御名を賛美します。

さて、南ユダの状況ですが、このような敗北の中にも、大いなる主の憐みのみわざを見たにもかかわらず、南ユダのアハズ王は、主に助けを求めることをせず、アッシリアに助けをもとめました。しかし、アッシリアにも裏切られました。それでも、主に立ち返ることをせず、かえって、ダマスコの神々にいけにえを捧げ、しかも、主の宮の器具を断ち切り、主の宮の門を閉じ、主を礼拝することを公けに禁じました。こうして、主のさばきが南ユダのうえに激しく下りました。

アハズは死に、エルサレムの町に葬られました。イスラエルの王たちの墓には葬られませんでした。歴代誌を読むと、王が代わることにより、主に立ち返るチャンスが与えられるという主の御計画が見えてくるように思われます。そして、アハズに代わり、ヒゼキヤが王に即位します(291節)。ヒゼキヤ王は即位して第1年の第1の月に主の宮の戸を開けさせました(293節)。どうやら、ヒゼキヤ王は、アハズを反面教師として、自分が即位する前から、どのように治世したらよいか、心の準備が出来ていたようです。明日の29章、明後日の30章、ヒゼキヤ王は、南ユダに大きな宗教改革をもたらします。それは北イスラエルにも波及するほどの実質のある、影響力のある宗教改革でした。ではまた。火曜日に。

清宣教師