朝まだき 主が造られた 作品を 思いめぐらし 歓喜に浸る

きょうも、笊川の散歩に行きました。途中バラの愛好家の庭の横を通り過ぎました。60鉢以上の大きな鉢に、さまざまなバラの種類を植えています。しかし、いまはまだ、選定された枝が見えるだけです。初夏が楽しみです。

ところで、今朝は起きる前に床の中で、自分が創造主の作品であることを思いめぐらしました。からだの仕組み、血液の働き、脳の働き、そして細胞、DNAなど、考えるほどにその素晴らしさに感嘆しました。またそれを造られた主のことに思いを巡らしました。とても素晴らしい作品を造られた主のみわざに歓喜が湧き上がりました。

それからさらに、霊について考えました。物質ではない霊の存在とその働きについて、霊と体の相互関係や相互作用について思いを巡らしました。これも考えるほどに深く思いめぐらしました。霊と心(魂)と体の関係が、イエス様の十字架の贖いの前後では一変したことに焦点を当てて思いめぐらしました。

日ごろから、創造論の意義について考えています。創造論を伝えている自分自身の生き方に、どれほどの影響を与えているか、決定的な影響を与えているか、考えさせられています。それで、今朝も自分自身が創造主の作品であることに思いを巡らしていたのです。また神の御子イエスさまのいのちの代価をもって買い取られた存在であることに思いを巡らしていました。そして、そこから喜びが湧いてくるのを覚えました。自分自身の人生の最期まで、このアイデンティティに生きることにより、創造の福音を宣教するだけでなく、実証する使命があること痛感するものです。創造のみわざは深く、永遠の作品です。主は素晴らしいお方です。ありがとうございます。