今日の91節では、第12の月、すなわち、アダルの月の13日となりました。この日、二つの勅令が同時に発効しました。ひとつは、ハマンが主導して書いたユダヤ人を亡ぼせという勅令、もうひとつが、モルデカイが主導して書いたユダヤ人は自分たちを亡ぼそうとする敵を滅ぼして良いというものでした。しかし、ユダヤ人である総理大臣のモルデカイの威光を恐れる、各州の首長、太守、総督、王の役人たちはみな、ユダヤ人の擁護にまわりました。実質的に、ユダヤ人にとって最悪の日が一転して、最良の日となりました。この日、ユダヤ人は自分たちを襲ってきた敵をシュシャンの城だけで500人、ペルシャ帝国全体では75000人を亡ぼしました(910節、16節参照)。なお、シュシャンでは敵の勢力が残っており、エステルの願いにより、翌日も勅令がだされ、残党300人が滅ぼされました(15節)。そして、この日が、ユダヤ人にとって悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わったことを記念して、子々孫々、アダルの月の13日と14日を喜びと祝宴の日と定めました(927節、28節参照)。

ここで、注目されるひとつのことは、祝日の命名です。「エステルの日」でもなく、「モルデカイの日」でもありませんでした。正式には、「くじ」を意味する「プリムの日」と命名したのです。つまり、ハマンがくじを投げて、「喪の日」と定めたものを、主なる神は、そのくじを「祝いの日」として、ひっくり返されたのです(922節、24節、26節参照)。

このプリムの日ですが、今でも記念の日としてユダヤ人の間でお祝いの日として残っています。添付した写真は、今年のユダヤ人のカレンダーですが、先週の34日が、ユダヤ歴では、12月、つまり、アダルの月の13日にあたります。この日をエステル祭と呼びます。35日がアダルの月の14日で、プリムの祭と呼びます。36日がアダルの月の15日で、シュシャン・プリムと呼ばれます。なお、ユダヤ歴は太陰暦(月の周期をもとにしたカレンダー)ですから、太陽暦とは異なります。ですから、来年のエステル祭、プリムの祭、シュシャン・プリムは、今年と同じように34日、5日、6日となることはありません。私たちのカレンダーである太陽暦では、イースター(復活祭)の日が毎年、異なるのとおなじことです。なお、添付写真の3角形のクッキーは、「ハマンの耳」と呼ばれるもので、こどもたちが、美味しそうに食べています。喜びの日、御馳走の日なのです。

清宣教師