久しぶり 祈りの中に 示された 主の計画を ノートに記す

今朝、起きてからすぐ、1日1章の個所であるエステル記10章を朗読しました。そのあと、知識のことばと霊のことばで祈りました。その祈りの中で、久しぶりに、主のご計画が示されたように思いました。

牧師になったとき、祈りの中で示された時が、数回ありました。しかし、その後は途絶えていました。最近、新しい油注ぎを求めて祈っておりました。

今朝、祈りの中で示されたのは、ふたつの内容でした。それをノートに記しました。

ひとつは、春の柔らかい日差しが、真人くん、頼人くんなど、西多賀教会の乳飲み子や幼子の上に注がれていること、そして、おそらく、私たち霊の乳飲み子の上にも注がれている感じでした。豊かに注がれています。大地が芽を出すように、こどもたちがすこやかに成長します。

ふたつは、私の心の中の岩盤が砕かれ、ひびが生じ、隙間が生じています。私の心の奥底に大いなる水の源があり、聖霊様の大いなる水の源があるということです。それが、私の心の奥底から流れ出るとき、大きな河となります。それは外にある人々の霊を生き返らせるものでした。「わたしを信じる者は、その人の心の奥底から活ける水の川が流れ出るようになる」というイエス様の約束を思い出しました。

一方、天からの雨は季節に従い実りを生じさせるためであり、聖霊様の後の雨は、心の大地に降り注ぎ、心の畑を耕し、もろもろの賜物の実を結ばせます。

以上のような内容でした。これからも日々、新しい油注ぎをもとめていきます。