1節~12節において、ヨブは、友達に向かって激しい反論を開始します。友達の主張については自分はそんなことは知っているとして退け、ヨブを癒そうとする友達のことを、癒すどころか苦しみを増し加えるだけの能無しの医者(4節)だと表現しています。黙っていればいいものを、神の顔をたてるつもりで、神の代弁者のような態度をとっているが、それは非常に危険なことである、あなたがたは思いあがっている、神の側にたって語っているつもりのようだが、それが間違っていれば、あなたがたは神から責任を問われ(9節)、あなたがたは神から裁きをうけることになる(10節)。

13節~19節において、ヨブは、友達に対して、これからは神ご自身と論じ合うから、あなた方は黙って、罪を犯さないようにしなさい、というのです。

20節~28節において、ヨブは、神に直接、語りかけます。これは14章の最後まで続く訴えです。神に問いかける前に、ヨブは神に二つのことを願いました。ヨブが神様に語りかけることを妨げるふたつのことを取り除いてほしいという願いです(20節、21節)。まず、神の御手と主の臨在を遠ざけて、ヨブが恐れることなく神と語れるようにしてください、という願いです。通常は、神の御手と神の臨在はヨブにとっての慰めでしたが、いまは、恐れをあたえるものでした。

次に、二つ目の願いです(22節)。主のしもべですから、どうか、私を呼んでください、という願いです。自分の気づいていない罪があるなら、どうぞ、私に知らせてください。「なぜ、あなたは御顔を隠し、私を敵とみなされるのですか」という全身全霊をもっての質問です。わたしは、「吹き散らされた木の葉」、「かわいたわら」にしかすぎません。

一方、私たちはヨブ記1章と2章の出来事を知っています。ヨブは、神の前に、「吹き散らされた木の葉」や「かわいたわら」ではなく、「潔白な主のしもべ」なのです。だからこそ、サタンに対する主のしもべとしての証しを、神から委ねられた大事な大事なしもべなのです。でも、ヨブ記1章と2章の天上における会議を知らないヨブにとって、主のしもべであるのに、理由なく、主が自分を退けておられることに気も狂いそうなのです。そして、14章で、神ご自身に対して訴えるのです。

清宣教師