ヨブの人生は、29章に記されている幸せな人生から、一転して、30章のようなとても悲惨な状況に追い込まれました。30章の1節~15節で、ヨブは自分が受けている社会的な辱めについて述べています。3016節~23節では、これらの状況から、自分は神によって撃たれ、捨てられたと考えざるを得ない状況の中で、それでも、直接神に訴え語りかけています。3024節~31節では、苦しみの中で叫んでいるヨブの求めに対して何もしてくださらない神へ訴えています。

31章では、ヨブは自分自身の潔白を主張します。ヨブは具体的に、ひとつひとつのこと、性的な誘惑に対して、嘘や欺きについて、姦淫の罪について、しもべやはしために対する非人道的な扱いについて、みなしごややもめなど社会的な弱者に対する無関心の罪について、金や富、太陽や星などを拝む偶像礼拝の罪について、自分の敵の不幸を喜ぶ罪について、自分の罪を隠す誘惑について、これらすべての罪について、自分は潔白であることを主張しています。そして、天の法廷において、神の御前で訴えるべきことはすべて訴え、35節の欄外註にあるように、(直訳は私のしるし)ヨブは、署名をしたと言っています。同時に、ヨブを訴える告訴状(35節参照)についても言及しています。控訴状はかえって、自分の潔白を証明することになろう、というのです(36節、37節)。

32章では、3人の友人とは別に、年の若いエリフがヨブに向かって語りかけています。3人の友人たちに対して、ヨブを罪ありとしながら、ヨブの弁明に対して何も言い返すことが出来なかったことを批判しています。そして、ヨブに対しては、ヨブが神よりも自分の主張が正しいと主張している点について、その点を取り上げて、ヨブが正しくないと論じています。32章の6節~14節は、ヨブの友人たちに対する批判のことばです。15節~22節において、エリフは自分に悟りを与えた神の霊により、新しいブドウ酒の皮袋のように、今にも張り裂けようとしていると述べて、自分が語らざるを得ない心境を語っています。

そして、エリフは33章で、いよいよ、ヨブに語りかけます。

清宣教師