37章では、エリフが、36章の終わりの部分の続きで、371節~13節において、エリフは私たちには支配出来ない、恐ろしい雷や稲妻、そして、雪や氷、冬の寒さなどを例にあげて、神のみわざは測りがたいこと、また、神はご自分の御心のままに、御計画の通りにみわざを成し遂げられる方であること強調しています。そのあと、3714節~24節において、「これに耳を傾けよ。ヨブ。神の奇しいみわざを、じっと考えよ。」とヨブに直接、語りかけています。エリフは、神が創造者であること、その被造物に秘められている神の叡智を考えて、神の前には高慢になることなく、へりくだるように勧めています(24節)。

38章では、いよいよ、ヨブが求めていた神ご自身が、応答されました。381節に、「主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。」と記されています。神の応答は、ヨブの天における法廷での論争という形ではなく、つまり、ヨブの主張に対して、その主張が正しいか間違っているかではなく、一方的な創造主の顕現という形での応答となっています。しかし、ヨブはこれで十分に解決を得ました(421節~6節でのヨブの応答)。ヨブは、神に対してしつこく論争を求めましたが、その本心は主ご自身の臨在そのものを求めていた、ということです。

さて、381節の、「あらしの中から」というのは、主の顕現のひとつの形です(列王記第11911節で、エリヤが体験したのもそうでした)。384節以降、神は、創造主としての創造のみわざを披露していきます。地や海の創造(4節~11節)。地球の自転(12節~15節)、世界をくまなく知っておられること(16節~21節)、雪や雹や雨や風などの天候を治めておられること(22節~30節)、星座などの天の事象を治めておられること(31節~38節)を示されました。最後に、動物を養われていること(39節~41節)を示されました。

39章では、3839節~41節に続いて、動物を取り上げ、391節~4節において、動物の出産の不思議(神の叡智のあらわれ)を語っています。そして、野生の動物(5節~8節)、野牛(9節~12節)、駝鳥(だちょう)(13節~18節)などにおける習性もみな、創造主の設計によること、馬(19節~25節)や鳥(26節~30節)における習性もみな創造主の叡智の現われである、と、創造主である神は宣言しています。余談になりますが、不思議なことは、創世記1章において「家畜」は家畜として、最初から造られていることです(創世記125節参照)。つまり、進化論的な発想によると野生のものを飼いならせば家畜になると考えますが、聖書では、最初から、家畜は家畜、人に飼われるものとして造られたことです。家畜とは、学問の分野での定義によれば、家畜とは人とのかかわりでのみ生きていけるものです。家畜に相当するものとして植物の分野では「作物」ということばがあります。植物と作物の違いは、作物は、人の手によって管理されないと生きていけないものです。創世の最初から、人間のために「家畜」や「作物」が備えられていたということです。創造主なる神のかたりかけは、さらに、40章へと続きます。

清宣教師