昨日に続き、主はヨブに対して語りかけておられます。「レビヤタン」と訳されていますが、レビヤタンというと、旧約聖書では5回、用いられています。ヨブ記38節、411節、詩篇7414節、10426節、イザヤ書271節です。ヨブ38節と詩篇7414節とイザヤ書271節の3つのケースでは、古代オリエントの神話を背景として用いられていると言われています。きょうの411節におけるレビヤタンが神話的な怪獣を指しているのか、実在の動物なのか、解釈が分かれるところです。

新改訳聖書において、欄外註に、あるいは、「わに」と付記されています。昨日、紹介いたしました創造主訳聖書でも「わに」と訳しています。ワニのような動物を、人間は自分の手の中に治めることができるのか?と問いかけています。その答えは、人間には出来ないというものです。しかし、創造主なる神は、このような動物であっても自由自在に支配する力があることを示しています。

最後にもう一度、恐竜について言及していると思われます。「それは、すべて高いものを見下ろし、それは、すべての誇り高い獣の王である」(4134節)。この表現は、河馬にも鰐にも当てはまりません。すべて高いものを見下ろすとは、まさに、ビルディングの4階の窓から、中を覗き込むことができるほど、背の高い恐竜であると考えると、すべての謎が解けます。

このように、創造主なる神は、ヨブへの語りかけの最後に、巨大な動物である「恐竜」を持ち出して、終えています。「これは神が造られた第1の獣」(ヨブ記40章19節)、「それは、すべての誇り高い獣の王である」(41章34節)、主は被造物のすべてを支配されています。

神は、ヨブに対して、天におけるサタンとの会話、そして何故、ヨブが理不尽とも思える不幸な事件を体験しなければならなかったという疑問に対する答えは、まったく省かれました。つまり、ヨブの試練の原因は、サタンが主に挑戦したことにあるという説明を省かれました。ただ、主はご自分がすべての事件を把握されているお方であることをお示しになられただけでした。

しかし、ヨブは、納得しています。すべての試練は、創造主なる神の御手の中にあったことを知っただけで、充分に、満足することが出来ました。完全に、すべてのことを主にお委ねすることが出来たからです。また、主とヨブの間の契約関係である、主と主のしもべの関係は、不変であることをヨブは知りましたから、それで、充分、満足できたのです。

清宣教師