ヨブ記も最終章になりました。ヨブは、創造主なる神のみことばに対して、答えます。「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。知識もなくて、摂理を覆い隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟り得ないことを告げました。・・・・それで、私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています。」(422節~6節)。

ヨブは圧倒的な神の御力の前に、自分自身の限界と高ぶりとを示されて、素直に悔い改めています。主はヨブを見放したのではなく、裁いたのではなく、ヨブをご自分のしもべとしてのあるべき所に置いて下さったのです。これが主と私たちとの関係です。

私たちは創造主の高価で尊い作品です。しかし、高慢のゆえに、独立独歩の生き方を選び取りました。しかし、創造主は、私たちを見放したのではなく、裁いたのではなく、私たちを神のこどもとしてあるべき所に置いて下さったのです。御子イエス様のいのちの代価を払って、私たちの罪と呪いから解き放って下さったのです。私たちは、高慢を捨てて、ヨブと共に、ちりと灰の中で悔い改めたのです。

創造主のみわざを見ることは、私たちの限界と高ぶりとを示してくれます。そして、それは内側からの悔い改めをもたらします。創造論宣教は、神ご自身のみわざを通して、神ご自身の本来の姿を見るように、わたしたちを導いて下さいます。

私たちは、サタンが言うように、打算から神を恐れるのではなく、創造主と被造物の関係が永遠に不変であること、そして、神の御子のいのちの代価によって買い取られたものであり、永遠に神の子として生きる祝福のゆえに、つまり、神の私たちに対する真実の愛のゆえに、神を愛し、神を礼拝するのです。

7節~17節では、主のしもべとしての立場を、友人たちの前に、また、すべての人たちの前に、回復して下さいました。友人たちはヨブに対して偽りの罪を言い表し、祈ってもらいました。そして、赦されました。ヨブはすべての所有物を2倍にして返していただきました。羊7000頭から14000頭へ、らくだ3千頭から6千頭へ、牛500くびきから1000くびきへ、雌ロバ500頭から1000頭へ、

(ヨブ記13節、ヨブ記4212節の対照)。ただし、息子と娘の人数は10人でした。これは、すでに死んだ先の息子と娘も主の前に生きていることを暗示しています。つまりヨブは、永遠の御国において、20人の息子と娘たちを持つことになるのです。

最後の17節において、「ヨブは老年を迎え、長寿をまっとうして死んだ」と記されています。こうして地上でのヨブの生涯が終わりました。この地上での生涯は短いのですが、短い生涯の中で、創造主なる神の栄光を現すことが出来るなら、はるかにまさる、天における永遠のいのちにおいて、大きな大きな報いと栄光を受けるのです。私たちの一生もいつか、最終章がきます。そのとき、イエス様のように告白出来たら幸いです。イエスは、目を天に向けて、言われた。「あなたがわたしに行わせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。」(ヨハネの福音書、174節)。

清宣教師