きょうの詩篇26篇も、私たちの思いを代弁する詩であるように思います。私たちクリスチャンは、それなりにではありますが、昨日の詩篇25篇のように、主に教えていただいた「主の小道」を歩もうとして、デボーションの時間を確保し、祈り、主日礼拝のメッセージで教えられたことや、聖書や信仰書を通して教えていただいことを実行しようとして歩んでいます。

それでも、いろいろな人間関係や、トラブルに巻き込まれてしまいます。そういう中で、じっと忍耐して、正しい態度を取りたいと思い、主の解決を待ち望んでいます。1節の「弁護して下さい」、そして、2節の「調べ、試み、試して」下さいという主への願いは、私たちの祈りです。私たちの周りにいる「不真実な人」、「偽善者」を避けることは不可能ですが、でも、積極的に一緒に座って仲間になることは拒否することが出来ます(3節、4節、5節)。ダビデは、むしろ、手を洗い、心を洗い、祭壇の周りを歩み、主への感謝と奇しきみわざを分かち合うようにしていました(6節、7)。悪い企みや賄賂などの不正な道を歩む人たちを避けて(9節、10節)、誠実に歩む道を望み、主に助けを求めています(11節)。私たちも、日常の生活の中で、仕事場で、祈りつつ、歩んでいます。そして、数々の集まりの中で、主をほめたたえるのです(12節)。

御父の愛と御子の恵みと御霊の交わりの祝福の中に、きょうも、私たちの人生があります。

感謝します。

清宣教師