きょうは、昨日の11章でお知らせいたしましたが、きょうは、「終活」というテーマで講演がありました。ヤコブの生涯、ヨセフの生涯、そして、モーセの生涯などを例にして、メッセージしてくださいました。八木山教会、仙台教会、仙台北キリスト教会などからも参加者が与えられました。私は20年ぶり?、奏楽の奉仕をさせていただきました。主のご計画は想定外のことが多いですね。

さて、今日の詩篇50篇は、「真の礼拝とは何か」を教えてくれる内容になっております。そして、その内容は、十戒の要約の確認であり、神への愛と人への愛という根本的な戒めの要約となっています。

1節―6節では、シナイ山での神の顕現を思い起こさせる表現となっています。「わたしの聖徒」とは、神との契約の関係に入ったイスラエルの民のことです(5節)。

7節―15節は、モーセの十戒の石の板の1枚目に記されている、神への愛の戒めの確認です。ただ、心を尽くし、力を尽くし、精神を尽くして主なるあなたの神を愛せよ、という戒めです。物質的、表面的な礼拝ではなく、霊的な礼拝を主は求めておられます。

16節―21節では、モーセの十戒の石の板の2枚目に記されている、隣人への愛の戒めの確認です。神の戒めに背を向け、隣人の悪口を言う悪、そして、その根底にある高ぶり(21節)の罪を指摘します。

22節―23節では、まず、神の戒めの意味を理解せず、従わないもの、自己至上主義の人への警告です(22節)。そして、神への正しい礼拝をするひとへの約束です(23節)。

ここで、教えられたことですが、幼子の心を忘れることなく、創造主の前に、素直な、純粋な、誠実な心で礼拝したいと思います。

どこまでもくっついてくる、自我の頑固な肉、強固なプライドの鎧、自己義認の古着を捨てることが、私たちの戦いであると思います。

私たちのために、すべてを捨て、いのちを捨て、プライドを捨て、すべての特権を捨てて、へりくだって、私たちの所に来て下さったイエス様の御名を賛美します。私たちの頑なな魂を取り除き、柔らかい霊の心をお与えくださる聖霊様をほめたたえます。無制限の愛をもって、まことの父として、私たちを愛してくださる神様をほめたたえます。

清宣教師