妻のカテーテル検査は、10時に始まり、30分間で無事終わりました。昨日は、それぞれ、担当の栄養士、薬剤師、看護師、医師の方から、個別に詳しい説明があったそうで、本を読んだりする時間はまったくなかったそうです。それにしても、ひとりひとりの方から、丁寧に説明があり、至れり尽くせりという感想でした。昨日の夜も、今朝も、担当の医師の方が来られて、「あなたはゆったりした気持ちで検査を受けて下さい。私たちがしっかり診ますから」とのお話しがあったそうで、病院の雰囲気は良かったようです。病室も4人部屋ですが、一人あたりのスペースが割とゆったりしていて、私にも良い環境のように思えました。診断の結果は、午後3時から説明がある予定です。とりあえず、本人はホッとしています。

今日の詩篇62篇は、妻にとっても、励ましになったようです。「神よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」(8節)。それでも、検査の前は血圧が180に上昇しました。すぐに下がったので感謝でした。

毎日が同じような繰り返しであるように感じている方もおられると思いますが、私の場合は、最近、いろいろな方々の人生を見させていただいております。東北にただ一つの「こども病院」に入院しているこどもさん、付添のお母さん、お父さん、御祖父ちゃんやおばあちゃん、ボランティアの方、看護師、医師、検査技師など多くの働き人。

それから、きょうは、日赤病院でしたが、駐車場は、第1、第2、第3駐車場も満杯で、第4駐車場に車を止めました。病院は多くの人であふれていました。通院の人、入院しているひと、そして、緊急事態発生で、20名を超える内科の医師や看護師さんが、病院の入り口に駆け付ける姿もみました。

昨日は、仮設住宅の方々、とくに年配の人たちが、災害を経て4年目を迎えても、まだ多くの方が残っている状況を見ました。また、集会所の隣の仮設に、高校生くらいの人が学校から帰って玄関にはいるところでした。お年寄りだけでなく、若い中学生や高校生の人たちが、仮設で暮らさざるを得ない状況を見ました。ともかくも、祈りが必要であることを見ました。

こういう状況の中で、この詩篇62篇の聖句は、とても大きな励ましを与えてくれます。「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」(8節)という神様からのアドバイスを受けている私たちは幸せです。「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。」(5節)。このように告白できることはなんと幸せなことでしょう。そして、「神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私はゆるがされることがない。私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力と避け所は、神のうちにある」(6節、7節)と告白出来る人はなんと幸いでしょう。

毎日が同じような繰り返しの日常の生活の中でこそ、このような信仰の姿勢が形成されていきます。きょう、主に信頼するという決意を新たにして、告白しましょう。「私の魂は黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決してゆるがされない。」(1節、2節)。

清宣教師