もう一度 私の使命 考える 真の勇気を 待ち望みつつ

 

きょうは、祈祷会で、ヒルソングのブライアン・ヒューストン牧師のCGNTVの録画によるメッセージを聞きました。「素晴らしいものの虜になる」という内容でした。私なりに受けとめた内容は次のようなものでした。

義務でもなく、責任感のゆえでもなく、働くことができること。そうでないと、人間はいつのまにか、必ず、堕落してしまう。義務や責任感を100%果たすことを目的としているといつのまにか、人間は喜びを失い、真の召命から離れてしまう危険性が非常に高いこと。いつも、ワクワクする、素晴らしいものの虜になっていることが堕落からの防御となること。以上でした。

私も、自分に与えられた召命について、改めて考えました。なぜなら、最近、私は、私の宣教師としてのもろもろの義務を100%果たすことに全力を尽くし、バーンアウト気味だったからです。自分としては、主からの召命に100%の責任感で応えることが目標でした。しかし、いつのまにか、極度の緊張とストレスで、喜びが失われつつあったからです。

私の原点は、47歳、西多賀教会の牧師としての召命を受けたときです。ここに原点があります。

さて、私の召命は、福音の真理の宣教を通して、人々の人生が変えられることです。そこに、常に、帰らなければならない私の原点があります。そのことを覚えて、メッセージを準備するときも、人々の人生が変えられることをイメージしながら、ひとつひとつの宣教の作品を生み出すようにしようと思います。

今日、与えられたみことばは、ヨブ記40章2節のヨブの告白です。「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。」そうです。私には作品にいのちを与えることが出来ませんが、創造主なる神にはそれが出来ます。そして、成し遂げてくださいます。

私が主の導きの中で準備するメッセージという作品のひとつひとつに、創造主の息吹が吹きこまれて、メッセージを聴くひとりひとりの中に、変革が起こることをイメージして、ワクワクしながら準備したいと思います。