内容は詩篇4013節―17節の改訂版になっています。ほぼ同じ文章です。

表題の[記念のために]とはヘブル語の「レハズキール」という表現で、歴代誌第1164節では「主を覚えて」と記されています。おそらく、祭司が捧げ物を捧げ、感謝し、ほめたたえる時に歌われた公的な礼拝用の歌であろうと考えられています。個人的な苦しみを表す内容となっていますが、国家的な苦難に際してささげられる公的な歌として礼拝用に改定されて歌われたようです。1節では、神に急いて下さいと祈る。第1に、悪者からの救いのため(2節、3節)。第2に、信仰者の救いのため(4節、5節)であると理由が記されています。私たちも、日本の国のために、御国が来ますように、と祈ります。1日も早く、解決が与えられるように、私たちも祈ります。マラナ・タ 主よ。来てください(黙示録2217節参照)。

執り成しの祈りの重要性は、その人自身になりきるというか、その人自身に代わって、主に叫び求めることであると思われます。ひとりひとり、切迫した事柄で苦悩しています。あるいは、その人自身だけでなく、まわりの家族が苦悩しています。耐え難い肉体の痛み、慢性的な頭痛、腹痛、アレルギー、アトピーなど、あるいは、心の病、幻覚、引き籠り、自信喪失、無気力、目標のない空虚、抑制出来ない衝動など、それに、借金、失業、年金生活、経済的な必要による圧迫、学業や仕事による圧迫、そして、人間関係によるストレス、ダメージ、さまざまです。それ以外にも、イスラム過激派の台頭、戦争の危機感があります。「主よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けて下さい。」という叫びは、私たちの真の叫びです。そして、「神よ。私のところに急いでください。あなたは私の助け、私を救う方。主よ。遅れないでください。」と祈る、継続的な祈りの力が必要であることを痛感しています。

そのために、きょうも、主が、私たちに新しい喜びと油注ぎを与えて下さいますように。私たちは祈ります。切に祈ります。急いでください。私たちは、主の解決を求めています。大きな祈りの力を、私たちの教会に与えて下さい。エリヤが7度も地に伏して、祈り続けたように、手のひらの雲(エリヤが祈り求めていた大雨の兆し)を見るまで、祈り続ける忍耐力と堅い意志と揺るがない希望、信仰、愛を与えて下さい。

ヨブは忍耐の人でしたが、あきらめかけていました。しかし、その時、創造主は偉大な御業を見せて下さいました。主は、宇宙の星々を創造され、唯一、生命に満ちた地球を造られました。そこに無数のいのちあるものを創造されました。海も、大地も、空も、すべてのものを作られました。雪も、雹も、大水も、氷も、星座も、すべて造られました。野やぎも、野ろばも、野牛も、だちょうも、家畜も、すべて、創造主の作品です。野の獣も、恐竜も、みな創造主の作品です。そして、植物もみな、造られました。人間の食料に必要な食用作物であるイネも小麦もトウモロコシも、ダイズも、サツマイモも、なにもかも、すべてのものを作られました。ヨブは、その創造主の偉大なみわざを見せつけられた時、もはや、口にする言葉はありませんでした。ヨブは主に答えて言いました(ヨブ記、422節)。「あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。私は自分をさげすみ、塵と灰の中で悔いています。」

もう一度、心を込めて、祈りましょう。私たちは創造主なる神に祈っているのです。その方こそ、私たちの愛する父であり、私たちは御子の似姿に造られた神のこどもたちですから。

清宣教師