今日の詩篇85篇は、バビロン捕囚からの帰還後、まもなくの詩篇と考えられています。

1節の「元通りにされました」とは、捕囚からの帰還の事実を表しているようです。

2節、3節は、イスラエルの民の咎を取り除き、赦して下さったことを感謝しています。

4節―7節は、なお、不安と混乱の中にある神の民に、神のあわれみを求めています。

8節は、神からの応答を聞かせて欲しいという内容です。「平和」とは神と民との間に完全な交わりをもたらし、再び、神を疑う愚かさに陥らせないものです。

10節の「恵みとまこと」は、神の契約とそれに基づく誠実はイスラエルの救いを実現します。「義と平和」は、神のご性質であり、神の救いのわざでもあります。

11節の「まことは地から」、「義は天から」とは、神の救いの結果としての地上生活の祝福を述べています。天と地の調和は主の恵みによるものです。

12節は、地の繁栄には、つねに、神の恵みが先行することを認め、告白しています。

13節は、「義」は擬人的な表現です。救いの源である神の恵みは、いつも、義という形で私たちに表れてくれます。イエスは父なる神の前に、私たちの義となり、「救いの保証」となって道を備えて下さいました。

イスラエルの民の歩みは、歴史上、苦難に満ちていましたが、反面、主の恵みの中に育まれてきた歴史であるといえます。一方、私たちクリスチャンの人生も、いろいろな試練の中を通らされる人生ですが、主の恵みによって裏付けされた人生です。その恵みは確実です。失われることがありません。

詩篇85篇をあらためて、一息で、読み直してみると、この中に秘められている神の息吹が伝わってくるようです。「あなた」ということば、「私たち」ということばの繰り返しの中で、私たちと神様との正しい関係の中に、私たちが引き込まれて、詩篇の作者と共に、「私は、主であられる神の仰せを聞きたい」(8節)という素直な願いの中に導かれます。そして、「御救いは主を恐れる者たちに近い」という信仰の中に導かれます。

さらに、「地にある私たちが、天からもたらされた義を、誠実な生き方で、この地上に成就する」(11)というクリスチャンとしての役割についても教えられます。主が良いものを下さるので、地はもろもろの産物を生じます(12節)。クリスチャンもまた、天からの良きものをいただいて、この地において、豊かな実をむすび、周囲の人たちの祝福の基となるのです。

私は明日、いこいの汀教会の主日礼拝の宣教を担当させていただきます。3人の方が同伴して下さいます。創造論宣教のわざは、西多賀教会から派遣される「炎のランナー一座」のチームの働きです。「イエスの御名で」の著者、ヘンリー・ナウエンは、いつも、自分一人で講演の奉仕を引き受けていました。しかし、ある時から、共同体からの派遣という形で、同伴者と共に出かけるようになりました。まさに、創造論宣教も、主に導かれて、共同体の一員として、同伴者と共に派遣される道が開かれています。明日の宣教において、みことばとメッセージが「聖霊様の息吹を受けて、ひとりひとりの霊の中に深く入り、ひとりひとりに変革をもたらすものとなりますように」お祈りください。祈りを通して、あなたも、共同体としての働きに確実に参加することになります。主のみわざを期待します。

清宣教師