詩篇111篇と112篇は、アルファベット歌で、構造や用語に共通点があります。111篇は、神の力、善意、義。救いのわざに対する賛美であり、112篇は神を畏れる者の繁栄、祝福の様子を描いています。捕囚帰還後の歌で、古い詩篇と箴言から引用がなされています。
1節~3節では、定例の公けの集会で、「主に感謝しよう」と呼びかけがなされています。それは主のみわざが偉大であるからです。主の偉大なみわざは自然界にも見られ、また、イスラエルの救いの中にも見られるからです。4節の「記念とされた」とは出エジプトの出来事です。5節は、荒野におけるマナの出来事です。「契約」とは族長たちとの約束です(出エジプト記2章24節、6章5節参照)。6節と7節は、異邦の民の土地であったカナンの地をイスラエルに与えたことにより、主が約束されたことを誠実に果たされたことを賛美し、シナイ山での戒めはカナンの地において確かなものとされたことを賛美しています。9節の「御民に贖いを送り」とは、最初の贖いは、出エジプトの出来事とカナンへの入国の出来事を指しており、第2の贖いは、バビロンからの帰還と国の回復の出来事、第3の贖いは、キリストによる贖いを指していると考えられています。10節では、主を畏れることこそ、知恵の初めであり、単なる知識の習得が知恵ではない。それを人生に適用して実行する人こそ、知恵のある人であり、永遠に堅く立つ人である。
きょうの2節では、「主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる」と記されています。自然界は、神の作品で満ちています。その作品を探求しようとするのが、科学者です。先日の第3回創造論公開講座の時、天文学の専門家である長谷川先生が言われました。天国に入ると、牧師先生の仕事はなくなるでしょう。お医者さんの仕事もなくなるでしょう。でも、さまざまな天体を観察する天文学者の仕事は、天国でますます、発展するでしょう、というような内容のことばでした。なるほど、と思いました。この地上では分らなかったさまざまの現象が、天体を間近で見ることが出来るので、どんどん、研究が深まるでしょう。そういう意味では、植物の科学も、天国でますます発展する分野であると思います。創造主の作品は、人間の作品とは異なり、極めつくすことができない作品ばかりです。永遠の時間の中で、ゆったり、研究することができるとは、なんという幸せでしょう。
8月29日(土)午後2時から、戸井田先生が、「野の花を見よ。自己組織化ではない」というテーマで、お話しして下さいます。創造主のみわざの深みを、ご一緒に味わいましょう。主のみわざは偉大です。創造主なる神を賛美します。
清宣教師