祈りする 神の家族の 共同体

今日は、祈祷会があり、台風の災害のため、原発事故のため、難民のため、世界の平和のため、教会のため、祈りました。午前の祈祷会の出席者は子供たちを含めて13名くらい、夜の祈祷会は子供たちを含めて6名くらいでした。人数的には少ないでしたが、教会は愛の共同体、キリストの体、神の家族ですから、霊的にはひとつです。

目には見えませんが、80名を超える西多賀教会のメンバーは、霊の絆によって結ばれている、ひとつの家族です。祈祷会に出席しているひと、家で家事をしている主婦の人、職場で働いているひと、学校で学んでいる人、病院や施設で治療をうけているひと、各自のいる場所は違いますが、神の前にはひとつの体、ひとつの家族、ひとつの共同体です。

祈祷会に参加している人たちが捧げる祈りは、西多賀教会という神の家族、キリストの体としての祈りです。実際に祈祷会に参加していなくても、ひとつのからだのメンバーとして、参加しているのです。その意味で、木曜日の午前と夜の祈祷会の時間を覚えて、教会員の方が、どこにおられても、教会としての祈りがささげられているということを意識して覚えていただけたら感謝です。教会の祈祷会は、その意味で、公けの祭壇です。香ばしい香りがここで捧げられています。