夕日との 素敵な出会い 主の恵み

計画では、宣教旅行のあと、2日間の休暇をいただいたので、函館山からの夜景をみるとか、トラピスト修道院での黙想とか、休暇にふさわしく過ごそうと思っておりました。しかし、昨日、妻が、ホテルのサンダルを履いて、部屋のドアを開けたとき、足の小指をドアの下の隙間に挟んでしまい、負傷してしまいまあした。幸い、骨折ではないようでしたが、冷たい氷で冷やしたり、靴下もはけない状態でした。それで、観光の計画はとりやめて、2日間とも、ホテルの部屋で過ごすことに計画を変更しました。
昨日、函館の街を散歩して感じたことですが、私が歩いた街並みは、シャッターが下りている店も多く、さびれた様相をしていました。そこで、町の繁栄の回復、町の人たちの救いなど、とりなしの祈りをして歩いてきました。主のご計画は、とりなしの祈りを続けることであると、なんとなく感じました。そこで、今日は、昨日と反対方向に歩くことにしました。結果的に、この二日間で、函館駅から東、南、西、北の四方へ歩くことが出来ました。同じ函館でも、活気のある街並み、さびれた街並みがあることがわかりました。そして、西多賀教会の炎のランナー。プロジェクトの方向性、そして、私自身の創造論宣教師としての方向性について、主からのみことばを求めて、祈りつつ、散歩しました。しかし、みことばのこたえはなく、夕暮れ時となりました。
ふと、目をあげると、素晴らしく輝く、夕景色が目に入りました。そのシルエットも特別なものでした。鉄道の建物を背景にした夕暮れの景色です。千載一遇のシャッターチャンスでした。あとから考えました。主はみことばでは応答されませんでしたが、あのヨブ記の場合と同じように、創造主の素晴らしい作品を見せてくださり、私の願いに答えてくださったのだと思います。あまりの素晴らしさに、写メールを、堅先生をはじめ、炎PJの方など、数名の方々に送りました。そこで応答の返事をいただきましたが、いつか、そのことも証しする時が来ると思います。