皆様のところは大丈夫だったでしょうか。仙台は比較的、被害が少なかったようですね。
昨夜の午後10時ごろから午前4時頃まで、緊急避難勧告の速報が、相次いで、出されました。スマホのチャイムがほぼ1時間ごとになり、緊迫した時となりました。
避難と言っても、どうすることも出来ず、ただ、お祈りをして、屋根を打つ激しい雨の音が小さくなると安心して眠り、また、チャイムで起こされて祈り、雨の音が小さくなると安心して眠るという繰り返しで、睡眠不足でした。西多賀1丁目など、避難勧告が出されましたが、結果的には、自宅付近も、教会付近も大丈夫でした。テレビでは、鬼怒川沿いの民家が濁流によって流される映像が流されていました。大雑把にいって50年ぶりの災害ということでした。実際には、18年前にも今回を上回る規模の大雨があり、同じような被害を受けている映像が流されていました。決して想定外でもなく、長くても50年に一度は起こるということです。
今回の被害も、私たち人間は、科学が進歩したとの思いがあり、あるいは、天気予報などの技術が進歩したので、大きな災害はないものと安心していたように思います。人間の心の緩みを戒める寺田寅彦の名言があります。『天災は忘れたころにやってくる』ということばです。私たちは、聖書から、『絶えず祈りなさい』というみことばをいただいております。
昨日も、祈祷会があり、台風の災害のため、原発事故のため、難民のため、世界の平和のため、教会のため、祈りました。午前の祈祷会の出席者は子供たちを含めて13名くらい、夜の祈祷会は子供たちを含めて6名くらいでした。教会は愛の共同体、キリストの体、神の家族ですから、霊的にはひとつです。目には見えませんが、80名を超える西多賀教会のメンバーは、霊の絆によって結ばれている、ひとつの家族です。祈祷会に出席しているひと、家で家事をしている主婦の人、職場で働いているひと、学校で学んでいる人、病院や施設で治療をうけているひと、各自のいる場所は違いますが、神の前にはひとつの体、ひとつの家族、ひとつの共同体です。祈祷会に参加している人たちが捧げる祈りは、西多賀教会という神の家族、キリストの体としての祈りです。実際に祈祷会に参加していなくても、ひとつのからだのメンバーとして、参加しているのです。その意味で、木曜日の午前と夜の祈祷会の時間を覚えて、どこにおられても、教会としての祈りがささげられているということを意識して覚えていただけたら感謝です。教会の祈祷会は、その意味で、公けの祭壇です。香ばしい香りがここで捧げられています。わたしなりに、この大雨の災害から改めて教えられた事柄です。
この詩篇140篇は、いま、直面している苦境から、救い出してほしいという切なる祈りです。
3つの内容から成り立っています。
1節―5節は、悪者たちの偽りの訴えから、そして、その罠や落とし穴から私を救い出してくださいと主に求める祈りです。
6節―11節は、主は私の主であるがゆえに、これらの悪者たちへの裁きがなされるようにと求める祈りです。
12節-13節は、主は真実を愛されるお方なので、必ず、悩む者を守られ、悪者には裁きをなさるという確信を表明して祈りを終えています。
主が共におられますことを感謝します。
『いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しなさい。』
清宣教師