15章までは、大部分が反意的パラレリズムでしたが、16章からは、同義的パラレリズムや総合的パラレリズムが多くみられるようになります。
1節~9節は、ほぼ、人の計画と神の摂理について述べています。
「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。・・・主は、人の行ないを喜ぶとき、その人の敵をも、その人と和らがせる。・・・人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」
10節~15節は、11節を除き、王のあるべき姿について述べられています。
「王のくちびるには神の宣告がある。さばくときに、その口に誤りがない。・・・悪を行なうことは王たちの忌みきらうこと。王座は義によって堅く立つからだ。正しいことばは王たちの喜び。まっすぐに語る者は愛される。王の憤りは死の使者である。しかし知恵のある人はそれをなだめる。王の顔の光にはいのちがある。彼のいつくしみは後の雨をもたらす雲のようだ。」
16節~26節は、さまざまな徳について語られています。とくに、高ぶりを捨ててへりくだって知恵を求めるように勧めています。
「知恵を得ることは、黄金を得るよりはるかにまさる。悟りを得ることは銀を得るよりも望ましい。・・・高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともにいて、分捕り物を分けるのにまさる。みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。心に知恵のある者は悟りのある者ととなえられ、その快いことばは理解を増し加える。思慮を持つ者にはいのちが泉となり、愚か者には愚かさが懲らしめとなる。知恵のある者の心はその口をさとし、そのことばに理解を増し加える。親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。・・・」
27節~30節は、悪者のさまざまな様相について述べています。
「よこしまな者は悪をたくらむ。その言うことは焼き尽くす火のようだ。ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。暴虐の者は自分の隣人を惑わし、良くない道へ導く。目くばせする者はねじれごとをたくらみ、くちびるをすぼめている者は悪を成し遂げた者だ。」
きょうの16章は珍しく、内容的にある程度まとまりのある章でした。
ここには、私たちが人生のさまざまな問題に直面する時、問題の解決の糸口を提供してくれる聖句で満ちています。みなさまも、何度も、この個所へと導かれた経験があることと思います。主はあらかじめ、私たちに必要なことばを備えて下さいました。感謝します。
それでは、また。
清宣教師