教会に来る途中、国道286の歩道の真正面に、西の方のはるか遠くに山が見えます。
きょうは、その山が赤く燃えているのに気づきました。
ちょうど、その山が、太陽の光を受けて、紅葉の輝きが全山燃えているように見えたのです。
秋の季節がやってきました。紅葉を楽しむ季節です。それとも、味覚を楽しむ季節?。
さて、箴言22章ですが、「富む者と貧しいものとは互いに出会う。これらすべてを造られたのは主である。」(22章2節)。
もし、創造主が豊かに富を与えて下さったのなら、貧しい人との出会いがあるときに、知らんふりをすることができません。
それは、主のみこころを実現するために、主が、私たちを富ませて下さったからです。
そして、主のみこころを果たすなら、さらに、主は私たちのふところに、溢れるほどに、揺すりいれるほどに与えて下さるのです。
「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」(6節)。「その行く道にふさわしく」と書いてあります。
人それぞれに、能力も賜物も興味も違います。それを見出して教えてあげることは、とても、有益なことです。そのような適切なアドバイスは、その若者が年老いてからも、その人生に豊かな実りを与えることでしょう。
「なまけ者は言う『獅子が外にいる。私はちまたで殺される』と」(13節)。いろいろ心配して、思慮深いようですが、結局、それは思慮深さから来るのではなく、ただの怠け者の性質から来るというのです。あまりにも思い煩いが多いと、何もすることが出来なくなります。それは、恐れから来るというよりも、その人の怠け者の心から来ることもあるようです。
「私はあなたのために、韓国と知識についての30句を書いたではないか。」(20節)。このように書かれていると、どれが30句だろう?という疑問が湧いてくると思います。その答えは以下の通りです。22章22節、23節から始まり、24章21節、22節までの30句です。
①22節、23節。②24節、25節。③26節、27節。④28節。⑤29節。・・・・と続くことになります。

では、また明日。
清宣教師