紅葉の季節です。早くも街路樹の紅葉は散り始めています。皆様に、明日か明後日、創造主の作品である、紅葉を楽しむ機会がありますように。
さて、雅歌の3章です。
(花嫁)1節―4節。2章に引き続き、花嫁の歌です。婚宴の前の最後の歌になります。花嫁は、夜の床についても愛する人のことに心が集中して、愛するゆえの恐れが、夜毎に(1節の夜は複数形)、夢(1節後半から4節まで)となって表れてきます。夢というとみなさんも経験したことがあると思います。私も、自分の車を探していて、駐車場のすみずみまで探しても見つからない、という夢を見たことがあります。ここでは、1節で、「見当たりません」、2節でも「見当たりません」、3節でも「おみかけになりませんでしたか」という、必死に花婿を探す花嫁の心の不安が伝わってきます。「もしかしたら、この人は私のもとを去っていく人ではないか」というような深層の思いが夢となって表れているのかもしれません。4節は、花嫁の決意の表れです。ここで、花嫁は、花婿を本気で自分の夫となるべき人として結婚の決意をしています。
(コーラス隊)5節。愛は揺り動かしたり、掻き立てるものではなく、当事者同士の間で、愛が目覚めて、愛のおもむくままに日々を過ごせるように、そっと見守るのです。
(ナレーター)6節―11節。待ちに待った婚礼の日が来ました。この6節‐11節の部分は、注解者によって意見がわかれていますが、ここでは、ナレーターの説明としておきます。この行列の描写ですが、荒野から上ってくる行列の中心は、嫁入りするソロモンのみこしにのっている花嫁と思われます。ユダヤの婚礼では、婚約者の花婿が花嫁の家に向かいに行きます。そこで、儀式を行ってから、花婿が花嫁を自分の家に連れて行くのです。その慣習によればソロモンが、みこしに乗っていたとも考えられますが、むしろ、ソロモン王の場合は、エルサレムで花嫁を待ちうけたと思われます。花嫁は自分の家を離れて、両親と離れて、新しい家に入るのです。一歩一歩、エルサレムの花婿のところまで、行進していくのです。創世記2章25節のように、父母を離れて、二人は一体となるのです。
明日の4章は、婚礼の日々に、花婿が花嫁に対して歌ったものです。
(花婿)4章1節―15節。
(花婿)4章16節。床入り。
明後日の5章の事も記しておきます。
(花婿)5章1節。
(花嫁)5章2節―8節(ただし、2節のカギカッコの中は花婿のことばの引用)。愛の行き違い。
(コーラス隊)5章9節。再び募る花嫁の思い。
(花嫁)5章10節―16節。
それではまた。
清宣教師