8章は、1節―7節が、妻の愛。8節―10節が、妻の兄弟。11節―12節が、妻の働き。13節―14節が、ある日の二人。
(花嫁)1節―3節。妻は夫を、自分の案内で自分の母の家に行き、そこでもてなしたいと言います。これは女性にとって最高度の表現です(2節)。そして、母がしてくれたように、「香料を混ぜたぶどう酒」や「ざくろの果汁」を振る舞い、夫をもてなしたいのです(2節)。妻は自分のルーツを深いレベルで語り、夫もまた尊敬を払って聞いてくれたので、その信頼の深まった夫に抱いて欲しいと願いました(3節)。そして、そっと愛を見守って欲しいと、雅歌全体を貫くテーマが繰り返されています(4節)。
5節は、荒野から上ってくる人は誰でしょう、コーラス隊の歌と考えられます。それは、紛れもなく、ふたり(夫婦)です。
(花嫁)5節後半―7節。ここは、愛が最高潮に達した箇所です。フルオーケストラでフォルテッシモで演奏される場面です。
(花嫁の兄弟たち)8節―9節。妻の兄弟たちが幼いころの妹について語っています。
(花嫁)10節。「もう、わたしは夫に平安をもたらすほど成長しました。」と感謝のことばを語っています。
(ナレータ)11節。
(花嫁)12節。妻はソロモンに代わって葡萄畑を管理して、夫にも労働者にも利益をもたらしました。家の良き管理者でした。
(花婿)13節。夫は、この妻を自慢したいのでしょうか、みんなに紹介したいと思います。
(花嫁)14節。しかし、妻の願いは、夫とふたりだけの時を過ごすことでした。「私の愛する方よ。急いでください」。
この雅歌は、最初に述べましたが、ユダヤ教では、神と神の民であるイスラエルの間の愛の物語として、カトリックでは寓話的にとらえて、神の御子イエス様と教会との愛の物語として、プロテスタントでは二人の男女の愛の物語として理解しています。もちろん、聖書はイエスについて証するものですから、プロテスタントの教会でも、キリストを花婿、教会を花嫁として、ふたりの愛を述べていると理解するものです。