今日からイザヤ書1章に入りました。イザヤ書は旧約聖書の中で、最も多く新約聖書に引用されている書物です。つまり、神の救いの御計画に関してイザヤ書は重要な書と考えることが出来ます。
1章1節はイザヤが生きていた時代を示しています。ウジヤ王(紀元前792-740年)、ヨタム王(紀元前750-732年)、アハズ王(紀元前743年―716年)、ヒゼキヤ王(紀元前729年―687年)の時代に見た幻を記しています。
この時代は、ユダ王国にとって波瀾に富んだものでした。国際的には、メソポタミア地方のアッシリア帝国がティグラテ・ピレセル3世のもとで、、北ウラルトゥの支配から脱却して、南のバビロニア、北のウラルトゥを制圧して、地中海方面に進出してきた時代です。ティグラテ・ピレセル3世は、征服した国々の王侯貴族、指導者、技術者たちを捕虜としてアッシリア領土に移住させました。いわゆる捕囚です(その後、アッシリア帝国を滅ぼした新バビロニヤ帝国も、この政策を踏襲しました)。ティグラテ・ピレセル3世に続く、シャルマヌエセル5世(紀元前727年―722年)、サルゴン2世(紀元前722年―705年)、セナケリブ(紀元前704年―681年)も、いずれも、最終対決目標をエジプト帝国において、その経路にあたるアラム(シリヤ)や北イスラエル王国の征服を成し遂げました(第2列王記17章)。南ユダ王国にも激しい攻撃をかけました(イザヤ書36章―37章参照)。そこで、これらの国々の間で結成されたのが反アッシリア同盟でした。例えば、北イスラエルとアラムが反アッシリア同盟を結んだ時、南ユダ王国のアハズ王は、親アッシリア政策をとっていたので、この同盟には加担しませんでした。そのため、南ユダ王国はアラムと北イスラエルの連合軍によって侵略を受けることになりました。それで、南ユダのアハズ王は、アッシリアに支援を求めました。アハズ王の次の王となったヒゼキヤ王は、反アッシリヤ政策にもとづき、バビロニヤとの軍事同盟を結びました。このように、歴史的には、国際的な2大帝国(アッシリヤ帝国とエジプト帝国)、あるいは(アッシリヤ帝国とバビロニア帝国)、あるいは(バビロニヤ帝国とエジプト帝国)の権力争いの狭間で、また地理的にも、アッシリア帝国(あるいはバビロン帝国)とエジプト帝国の間に位置したため、これらの列強の国々の思惑のままに、揺り動かされるという状況にありました。
そのような状況では、主なる神に頼る以外に解決はないにもかかわらず、南ユダのアハズ王はバアル礼拝を積極的に推し進め、宗教的、道徳的に国全体が著しい腐敗のなかに落ち込んで行った時代でもありました。
このような中で、預言者イザヤ(同時代の預言者としてはミカがいる)が、主の召命を受けて活躍しました。
イザヤの家族構成は、預言者の妻(8章3節)と二人の男の子(7章3節、8章3節)がおりました。
きょうの個所では、ユダ王国の不従順に対する叱責の預言が語られています。24節の[敵]とは、エルサレムの指導者たちのことです。彼らを一掃して、エルサレムを清めるという主の御計画が記されています。
では、また。
清宣教師