主なる神は、預言者イザヤを通して、御子であるインマヌエルの統治によって暗黒を駆逐する神の御計画の全容を明らかにされます(9章1節~7節)。
不信仰が招いた恐怖の暗黒、その死の陰の地とも呼ばれる民の上に、神の大きな憐れみの光が訪れるのです。あの異邦人の地、最も神の恵みから遠い地と考えられていたガリラヤの地(ヨハネの福音書7章41節、52節参照)に住む、イスラエルの民の上に、また、異邦人の上にまで、恵みの光が及ぶようになるのです。こうして、喜びを増し加えられるのです(3節)。
続く4節~6節において。その喜びの理由を挙げています。第1に、光が来たこと、そして、重荷が取り除かれたこと(4節)。第2に、主が神の敵を打ち破られた後、確かな平和を与えられること(5節)。第3に、最高の喜びの根拠ですが、「ひとりのみどりごが、私たちのために生れる」ということです(6節)。この方は、すべてを支配される主権者であり、「不思議な助言者」、「力ある神」、「永遠の父」、「平和の君」と呼ばれるお方です。このような特質を備えた男の子が、神の民に与えられて、ダビデ王権を最高の形で行使するのです。しかも、それは武力によるのではなく、平和の君として義によってそれを成し遂げられるのです(7節)。
さて、最初に述べたように、主なる神は、預言者イザヤを通して、御子であるインマヌエルの統治によって暗黒を駆逐する神の御計画の全容を明らかにされました(9章1節~7節)。しかし、北イスラエル王国(南ユダもそうであるが)は、悔い改めることなく、ますます傲慢になり、背信の道を突き進むのでした。ですから、主なる神は、この北イスラエル王国に対して裁きを行うことを予告されました。外敵の侵略(9章8節―12節)、指導者を失うこと(9章13節―17節)、無政府状態の出現(9章18節―21節)、捕囚の切迫(10章1節―4節)の4つの災いが、主の前に、定められたのです。
今日の個所は、新約聖書の福音書に引用されており、クリスマスの祝会の中でも、朗読される個所です。イザヤによって預言された事がらが、数百年後に成就しました。まさに、主の御計画は、必ず成就します。また、この計画は災いではなく、将来を与え、希望を与え、平安を与える計画です。主はこの地を見捨てることなく、愛し続けておられます。それゆえに、回復の計画を立てられます。私たちはこの回復の計画の中におります。
以上です。
清宣教師