モアブという国は、南ユダ王国の東の方、死海を隔てて隣の国です。もともと、アブラハムの甥のロトとその娘から始まった国です。そういういみでは、イスラエルとは親戚同士ですが、イスラエルの国は、モアブに対して友好的に交わろうとしましたが、モアブはそれを拒否して、イスラエルに敵対してきました(例外的にルツの時代は、友好関係にあったようです)。それで、モアブ人は、「主の集会に加わってはならない」と律法に記されています(申命記23章3節)。
この15章では、預言者イザヤは、モアブに対して「ああ」という嘆きのことばで預言をしています。モアブという国は、南ユダ王国にとって敵国のような状況でしたが、イザヤはモアブの滅亡の預言を喜びながらではなく、心からの悲しみをもって預言しています(15章3節、16章9節参照)。どうやら、イザヤは主からの幻の中で、あまりの悲惨な状況を目の当たりに見て、悲しみを禁じ得なかったようです。町の名前が出てきますが、明確には特定は出来ませんが、モアブの北部の町(アル)、南部の町(キル、ヘシュボン、ツォアル)へと、北の方から敵が侵入してきている様を描いています。
最近、私たちは、フランスでのテロ事件、シリアの大勢の難民たち、それに、トルコによるロシア爆撃機の撃墜のニュースなど、次々と、不安なニュースが流れてきます。イスラエルでは日常的にテロ事件が勃発しています。アフリカの国々でもそうです。そもそも、シリアでは、パリのテロ事件のようなことが日常茶飯的に起きています。さらに、シリアやアフリカの諸国では、独裁政治や大国の思惑の中で混乱があります。イザヤの時代にあった悲劇が、今日でも起きています。
イスラエルとエルサレムの平和のために、そして、シリアの難民のため、中東の平和のため、北朝鮮の人たちのため、日本の平和のために、祈ります。創造主はもともと、地球上にひとつの神の家族を形成することを目的として、アダムとエバを創造されました。そして、神の御子イエス・キリストが永遠の平和を打ち立てるために、この地に人となられて、十字架の上で全人類の罪を贖われました。しかし、サタンは、暗闇の霊の世界で、人類の背後から破壊と滅びをもたらそうとして暗躍しています。私たちは天と地と海と水の源を創造された全能なる主に祈り求めます。「天において、神の御心が成る通り、この地において、御心が成就しますように」。
清宣教師