34章と35章は、神の民に対する究極的な救いの計画のクライマックスになっています。
1節―4節は、世界の審判、5節―15節はエドムの審判、16節、17節は審判の確実性となっています。
1節―4節:主なる神は、イスラエルだけではなく、すべての人類だけでもなく、すべての被造物を造られた神であり、支配されておられる神です。
ですから、最終的な審判は、イスラエル人を含む、すべての人類、そして、全被造物に及ぶものです。天の万象も朽ち果てるのです(4節)。
エドムは、イスラエル民族の親類でありながら、敵対者として歩んできました。このエドムに対して、主は徹底的な裁きをなされます(5節―15節)。
さて、16節ですが、主のことばに関するものです。つれあいとは、「預言」と「実現」という組み合わせと考えられます。つまり、聖書の中に預言されていることはすべて実現するということです。そのように、ここにイザヤが預言したことも必ず、実現するという警告となっています。それは人間の思い付きや考えで記したものではなく、全能の神の霊である、主の御霊がこれを書くように導かれたからです(16節―17節)。
私たちが生きている、この世界は、いま、複雑な国際関係の中で、核戦争の危険が高まっています。そうでなくとも、民族が民族に敵対し、憎しみと恨みが支配する世界です。このまま、歯止めのないまま突き進んでいくとき、徹底的な破滅と汚染が全世界に及ぶことは間違いありません。それは人間自身による罪の結果です。しかし、そこに一時的に全世界の平和をもたらす反キリストの出現があり、そのあと、反キリストの主導によるエルサレムに対する連合軍の攻撃、そして、主の介入による裁きがあると思われます。とはいっても、神学者の預言の解釈には幅があります。キリストの再臨の日時に関する預言の解釈が不可能であるように、そのほかの解釈にも諸説があります。そういう意味では、どのような事態にも対処できるように、油断せずに、祈りつつ、待ち望みたいと思います。主よ。来たりませ。マラナタ。
清宣教師