このまま、人類の文明が進んで行くと、さまざまな深刻な課題に直面することは避けられない。世の終わりには、神の裁きがあり、それは徹底しており、34章で描写されているように、人間による虐殺があり、その死体は悪臭を放ち、しかも、未曽有の天変地異が起こる。
しかし、きょうの35章では、一転して、荒野や砂漠や荒地が、美しい花を咲かせる天国のような光景が映し出される。創造主なる神の裁きには、いつも、二つの面がある。不正や不義を行っていた者には恐ろしい裁きであるが、虐げられたり、貧困に追いやられていた者には、喜びの訪れである。正義が取り戻される時である。
1節―7節は、祝福の変貌です。自然界は、新たに息を吹き返し、花を咲かせ実を実らせます。そして、恐れや無力感をもつものに、喜びが訪れます。
「そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。そのとき、足のなえた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う」(6節)。この聖句は、イエス・キリストの来臨により、成就しました(マタイの福音書11章4節―6節参照)。しかし、それはユダヤの一地方での出来事でした。しかし、今度、イエス・キリストが再臨される時には、これは全人類において成就するのです。
8節―10節は、美しい国土に、シオンに通ずる一本道が設けられます。「聖なる道」と名付けられます。主に贖われた人たちが、全世界から集まってきます。聖なるシオンは回復されます。
今日の個所は、エデンの園が回復されるような描写ですね。私たちの人生は、荒れ地のようであっても、主の霊によって、サフランのように、喜びと賛美の花を咲かせるのです。
きょうの日を感謝します。主が共にいてくださることを感謝します。
清宣教師