「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(43章4節前半)。この聖句は、美田園仮設住宅で、この一年の間、語り続けてきた聖句でした。また、私自身、大きな慰めと愛をいただいた聖句でもあります。そしてまた、「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(43章7節)。さらに、「あなたがたはわたしの証人、――主の御告げ。――わたしが選んだわたしのしもべである。」(43章10節)。これらの聖句によって、何度も、励ましを受けて立ち上がることが出来ました。
そして、今回は、「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。・・・わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。」(43章18節―21節)。このみことばにより、大きな励ましをいただきました。昨日のイザヤ書42章では、主のしもべは「見えない目を開き、囚人を牢獄から、闇の中に住むものを獄やから連れ出す」(42章7節)と記されています。主のしもべは、癒しと解放と回復をもたらす働きをするものです。しかし、現実には、なかなか、癒しと解放と回復のみわざをみることが難しいです。そのような戦いの中で、今日は、「先のことどもを思い出すな。昔のことどもを考えるな」とアドバイスされました。今まで、そのような御業をみることが出来なかったとしても、それに引きずられることなく、新しいことをするという創造主なる神の約束のことばに信頼せよ、と言われているからです。盲目の者の目が見えるようになり、耳の聞こえないものが聞こえるようになり、口の不自由な者が語るようになる。また、心の闇に束縛されていた者が、その闇の獄から解き放たれて、本来の自分の生き方を自由に生きることができるようになる。そのようになると約束されているのです。創造論宣教とは本来、このような神のみわざを伴う働きであると信じています。明日の44章では「あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。『恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。』」と約束されています。そして、明後日の個所、イザヤ書45章は、私が牧師として召命を受けたときのことばです。聖書のみことばは、私たちの人生を導き、新しい人生へと転換させる大きな力をもっています。そして、牧師として行き詰るときには、この召命のみことばに立ち返りました。その都度、新しい意味を見出し、勇気をもらいました。今、来年に向かってもう一度、みことばの約束を握りしめて出直そうと思いました。それは、「わたしはあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。わたしは秘められている財宝と、ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。」(45章2節、3節)のみことばです。日本の各地に隠された人材がいます。創造論宣教により目覚めて実を結ぶ多くの求道者、信者の人こそ、秘められた財宝、隠された宝の意味であると信じます。明日の25日から27日まで、茨城県の二つの教会でクリスマスの創造論宣教をするために、1日1章は、お休みになります。ご了承ください。
清宣教師