49章から55章までは、苦難のしもべによる回復がテーマとなっています。
さて、49章1節―6節では、主のしもべの働きについて述べています。主の働きは、イスラエルだけでなく、全世界に関係していると述べています(1節)。主は、「鋭い剣」、「研ぎ澄まされた矢」として、しもべを用いられます。また、時が来るまでそのしもべを隠されます(2節)。このしもべとは、不真実なイスラエルの中から、忠実な主のしもべとして選ばれ、立てられた者と考えられます。あるいは、新約聖書との関連から、イエス・キリストを指していると考えることも出来ます。
7節―13節では、神の民の回復について述べています。主のしもべの働きは、イスラエルだけでなく、異邦人をも贖うことでした。主はしもべを助けてそのわざを完成させます。主のしもべに従う民は祝福され、忠実な羊飼いに導かれる羊のように、安全に導かれます。「シニムの地から」とは、ある人は中国と考えて、「地の東の果てから」と解釈しています。この贖いのみわざのゆえに、天も地も主をほめたたえ、喜ぶように命じられています。それは「主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ」と記されています。なんと素晴らしいことでしょう。
14節―50章3節では、主の確約について述べています。「主は私を見捨てた」といって嘆く者がいます。それはシオンに住む、神の民です。主は3つの答えを用意されました。ひとつは、15節―23節です。母と子の例えから、主は神の民の産みの親であり、その愛は、人間の親とは比べようがない永遠、不変の愛であると述べています。二つ目の答えは、24節―26節です。常識で考えれば、囚われたものを取戻し、解放することは不可能に近いですが、しかし、主にとって不可能なことはありません。主は「このわたしが救う」(25節)と宣言しています。3つめの答えは50章1節―3節です。主が見捨てたのではない、イスラエルの民が見捨てたのであると確認しています。その上で、イスラエルを救えるのは、主なる神のほかにいないことを覚えて、主に頼るように勧めています。
以上です。
それでは、明日の12月31日(木)から、2016年5日(火)まで、お休みさせていただきます。
皆様、良いお年をお迎えください。
清宣教師