お休みしましたが、再会ですね。
57章1節―13節において、イザヤはイスラエルの民の偶像礼拝の罪について述べています。
イスラエルの民が、モレク礼拝やカナンの宗教、占いなど、ありとあらゆる偶像礼拝のとりこになっている姿が描かれています。
その行動は異常であり、国全体に偶像礼拝が蔓延している姿は、救いのない状況にありました。
しかし57章14節21節においては、神のあわれみが宣べられています。40章3節と同じように、ここでも、イスラエルの民のために道を整えるように命じられています。そして、神のもとに立ち返るように、主は呼びかけています。
「いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。『わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。わたしはいつまでも争わず、いつも怒ってはいない。わたしから出る霊と、わたしが造ったたましいが衰え果てるから。彼のむさぼりの罪のために、わたしは、怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。しかし、彼はなおそむいて、自分の思う道を行った。わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。わたしはくちびるの実を創造した者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう。』と主は仰せられる。」(15節―19節)。
ただ、神のあわれみによる救いのみわざによって偶像の無力さや空しさを示し、神の民に対する神の愛と真実を示すことによって神の民は癒されるのである。しかし、悪者どもは、主のあわれみを退けたので平安を得ることが出来ない(20節-21節)。
今日の個所を読むときに、なんと、主は憐み深いお方なのであろうか、感嘆します。このお方が私たちの主であるとは、なんと幸せなことでしょう。
もう一度、改めて、みことばを記します。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」アーメン。
清宣教師