きょうの65章ですが、1節―7節においては、頑なな民に対する主の回答が示されています。主は神の民に対していつもねんごろに語って来られました。主はいつも愛の手を差し伸べてきました。しかし、民は偶像礼拝に傾き、反逆をもって応えました。主は、「反逆の民」と呼ばれました。一方で、主の名を呼び求めなかった全世界の異邦の民に対して、福音宣教がなされることを預言しています(使徒パウロは、異邦人への宣教の根拠として、ローマ人への手紙10章20節で、イザヤ書65章1節を引用しています)。また、主は助けを呼び求めたイスラエルの民に対しては、二度にわたって、「報復する」(6節)と述べています。
8節―16節においては、イスラエルの民は、主の報復によって絶え果ててしまうかのような宣告でしたが、しかし、主はその中に、少数の救われる者を残されました。報復の中で、真のイスラエル(残りのもの)が残されるものです。主のしもべと呼ばれています。
17節―25節においては、新世界の出現について言及しています。17節で「新しい天と新しい地を創造する」と宣言されています。注解書に拠れば、これは旧世界にあるものの継続と考えています。新天新地に住む人は、そこで、新しく創造されるのではなく、旧世界の人が継続してそこに住むように描かれているからです。そこは、永遠の御国には似ていますが、一時的な所でもあるようです。悲しみがなく、長寿であり、飢饉がなく、略奪がなく、平和安全な場所です。いわゆる黙示録20章1節―6節に述べられている「千年王国」を指していると考えられます。つまり、主イエス・キリストの再臨に伴って、主が建てられる千年王国の預言であると考えられています。
以上ですが、私たちには希望があります。創造主は、私たちの世界を回復して下さいます。創造の秩序が回復される時、人々は創造主のまえに、ひれ伏し、主のみこころを行うものとなります。すべての被造物もお互いに共生するものとなります。オオカミと子羊は共に草をはみ、獅子は牛のようにワラを食い、・・・お互いに害を加えることがなくなります。私たちはすでに、御国の一員として、選ばれており、証印をおされているのです。この世に束縛されることなく、圧迫されることなく、主キリストにあって、いつも喜び、たえず祈り、すべてに感謝しましょう。
清宣教師