エレミヤ書に入りました。これは預言者の中でも分量的に最大の預言書です。また、区分することが最も難しい預言書であるとも言われています。年代的な順序はほとんど考慮されていません。ですから、年代を追って記されているかのように誤解して、読み進んで行くと、わけが分らなくなってしまいます。注意点のひとつです。
他の書に比べて、エレミヤの場合、その生涯について、詳しく記述されています。南ユダ王国を悪王マナセが治めていた時代に、エルサレム北方にある寒村アナトテに、その地の祭司ヒルキヤの子として生れました(1章1節)。父ヒルキヤの祖先は、その昔、王位をめぐる事件で反逆側に加担したエブヤタルでした。ソロモン王の特別の寛大な措置で、祭司職から降ろされた家系でした。どのようにして祭司の家系を維持できたのか不明ですが、そのような家系ゆえに、有力な祭司とはなりえなかったことが推測されます。ところが、主は、この寒村アナトテに生れたエレミヤを、生まれる前から、祭司としてではなく、預言者として召されていたのです。主は、どのような過去の経緯をもっていたとしても、主のみこころを成し遂げられるお方です。
エレミヤの生涯は、筆舌に尽くしがたい悲劇的な運命を背負っていました。それは、決して、華々しい勝利を収めるのではなく、その時、その時の権力者(王)の政治権力のもとで、ただ、ただ、忍耐して耐えて、主のことばを伝える使命でした。信仰者と言えば、一方ではヨシュアやダビデのように華々しい勝利をおさめる人がいました。しかし、エレミヤが信仰者として選ばれたのは、苦難を通しての証し人としての生涯でした。エレミヤは最後の最後まで、みことばに立ちました。そして、政治的な指導者たちに、自分のいのちをかけて、主のみこころを伝えました。しかし、エレミヤは、反逆者たちの手によって、主のみこころの道とは反対の方向へと引きずられて、その人生を終わるのです。ある意味、反逆者のなかにあって、最期まで、預言者としての人生をまっとうするのです。エレミヤの人生は、悲しみの人であり、涙の預言者と呼ばれる人でした。それこそが、まさに、主イエス様の生き方を身をもって証しした預言者でした。主のみことばを宣べ伝えたにもかかわらず、決して報われることない人生でした。現代の歴史家は、決して、このような人物を評価しないと思います。何も業績と言えるものを残していないのです。それにもかかわらず、主なる神は、旧約聖書の中心に、この分量的にも最大のスペースを与えて、エレミヤ書を残されたのです。このことは、現代に生きる私たちに対して、大きなインパクトを与えています。
さて、1章ですが、エレミヤの召命について記されています。悪王マナセ王が死去して、善王ヨシアが即位してから13年目の頃、エレミヤは、若くして(20歳前後か?)召命を受けました。この頃がエレミヤにとって最良の時であったと思われます。しかし、善王ヨシアが戦死して、エホヤキム、ゼデキヤの時代、バビロン捕囚のときまで、預言者として主に仕えるのでした(1節―3節)。まだ若いとしり込みするエレミヤに対して、神は『まだ若い、と言うな』と言われて、エレミヤに対する約束を与えました。そして、主は御手を伸ばし、エレミヤの口に触れて、主のことばを授けられました。そのあと、幻(11節―19節)を通して、主の見張り人としての使命が与えられました。「彼らがあなたと戦っても、あなたには勝てない。わたしがあなたとともにいて、―主の御つげーあなたを救い出すからだ。」(19節)と約束されました。この約束だけをみると、一見、敵に勝利するイメージですが、実際には、敵対する者によって何度も何度も打倒されるけれども立ち上がらなければならないというとてもつらい使命でした。さあ、エレミヤ書が始まります。私たちの人生観を一変させる書でもあります。清宣教師