主なる神が、ご自分の意志を預言者に伝えられる場合、いくつかの方法をとられます。ひとつは、ことばで示されます。あるいは、幻(昼、目は覚めている)や夢(夜、眠っているとき)を通じて示されます。あるいは、きょうの13章のように、預言者に象徴的行動を命じられ、それを民に見せられる方法です。
今日の個所では、主は、エレミヤに新しい帯を買うように命じました。それから、その帯を遠くユーフラテス川の岩の裂け目に隠すように命じられました。そして、しばらくたってから、ユーフラテス川に行って、その帯を持ち帰るように命じられました。その帯は、腐っていてぼろぼろで、帯としては役に立たないものになっていました。エレミヤの居住地からユーフラテス川までは、かなり遠い旅でした。そのことは周囲の人たちの話題になったに違いありません。腐ってしまった帯を持ち帰ったエレミヤの奇妙な行動について、多くの人が関心をもったに違いありません。そこで、主なる神は、その意味を解き明かされました(8節‐11節)。
神の民である南ユダの人たちは、神との契約に生きるべきでしたが、神の言葉を聞かず、偶像礼拝に走り、無益な存在となり、腐った帯のようになってしまった、というのです。従って、南ユダのひとたち、また、エルサレムは、主からの裁きを受けて、ユダの民はバビロン捕囚となり、エルサレムは崩壊することになるのです。帯というのは、しっかりと結びつけるものです。それは主なる神と全世界の民との間を結びつける神の民の役目を象徴していると思われます。ところが、南ユダの民は偶像礼拝に走り、もはや腐った帯のようになり、全世界の民と主なる神との間を結ぶ帯とはなり得なくなりました。
同じようように、イエス様は、「役に立たない塩」について語られました。クリスチャンは、この世に遣わされている地の塩としての役目を与えられています。しかし、もしその生活において、その塩気をなくしたら、なんの役にも立たず、捨てられるだけです、と述べられました。「あなたがたは地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです」(マタイの福音書5章13節)。
私たちは、この世と神様との間に立って、執り成し祈る役目が与えられています。日本基督教団の牧会のいのりを参考までに以下に示します。
「父なる神よ、あなたは祈りに応えて恵みを与えて下さいます。どうか、今私たちがささげる祈りをお聞きください。全世界のため、すべての国民とその政府のために祈ります。主よ、世界のすべてのところに、自由と平和をもたらしてください。また、政治に携わる人々に貧困や対立を克服する知恵と力をお与えくださいますように。世界に広がるすべての教会のために祈ります。主よ、教会が聖霊の賜物を再び燃えたたせ、その信仰を新たにし、一致と交わりを深めることができますように。教会員のために祈ります。主よ、わたしたちすべてを従順な者とし、御言葉と聖餐によって豊かに養い、あなたを証しする生活に励む者としてくださいますように。身近な人々のために祈ります。主よ、わたしたちの家族や隣人、学校や職場の仲間を覚えます。わたしたちとの日々の交わりの中で、御子イエス・キリストが注いでくださる大きな愛に、気付くことができますように。この地域の学校や教育機関のために祈ります。主よ、子供たちや若者が、そこにおいてよい学びと訓練を受け、この時代の混迷に対処するために、また将来の務めに備えるために、十分な力を身につけることができますように。苦しんでいる人々のために祈ります。主よ、病気の人、試練の中にある人、悩んでいる人、悲しむ人を思い起こします。特に大震災で家族を失い、あるいは厳しい生活を余儀なくされている人を覚えます。どうか、今これらの人々が必要としている助けをお与えください。また、死の時を迎えようとしている人々が、恐れることなく、平安のうちにみもとに行くことができますように。今も生きておられて、とりなしてくださる方、主イエス・キリストの御名によって祈ります。」
清宣教師