きょうの個所は、エホヤキム王の第4年と記されていますから、年代的には、21章よりも前におかれるべき内容となっています。
預言者エレミヤはユダの民全体とエルサレムの全住民に語っています。
3節―7節では、エレミヤは主の預言者として少なくとも23年間、忠実に主のことばを民たちに語り続けてきたことを指摘しました。それに対して、民は以前から語り続けている主の預言者たちのことばを聴かなかったように、エレミヤの語る主のことばに耳を傾けず、偶像礼拝の罪を行い続け、ついに、神の怒りをうけることになったことを宣言しています。
8節―14節では、北の種族、つまり、バビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、南ユダを始め、周辺諸国をも攻撃させること、その結果、この国は廃墟となり、バビロンの王に70年間、仕えるようになると宣言しました。これが主の裁きであることを確実に示すために、バビロンの王として、ネブカデレザルが即位した年に、このことを預言しています。文字通り、この預言は成就して、紀元前586年、エルサレムはネブカデレザルのバビロン軍によって崩壊し、南ユダ王国は滅び、周辺の国々も滅ぼされ、70年に及ぶ捕囚が始まりました。南ユダの国は、主の宣告の通りに、主の裁きをうけることになるのです。しかし、一方で、主の憐みは、70年という期限を設けて、捕囚からの解放という希望を与えられました。そして、主はネブカデレザル王をご自分の裁きの器として用いられたように、やがて70年後には、ペルシャ王のクロスを、ご自分の民を解放させる器として用いられるのです(12節-14節)。
18節―26節では、主のさばきによって取り扱われる諸国の名前が列挙されています。憤りの杯を飲ませると宣言された国々です。
27節―33節では、預言は必ず成就すること、しかも、審判の中心はエルサレムであり、南ユダ王国であることを示しています。
最後に、34節―38節では、周辺諸国の嘆きを、詩文のかたちで詠んでいます。
エレミヤは、捕囚からの解放というメシヤ的希望をかなたに見つつ、エルサレムと南ユダ王国の滅亡というメッセージを伝える預言者でした。
エレミヤは、主によって預言者としての召命をうけてから、23年の歳月が流れました。その間、南ユダの王国とその民のために、主のことばを忠実に語り続けてきましたが、民は聞き入れず、遂に、破局を迎えるまでに至ります。
主の命により、エレミヤは、ユダの民全体とエルサレムの全住民に対して語ったのです(2節)。しかし、彼らは聞いても従おうとはしませんでした。そして、そうこうして時が流れていき、ついに、裁きを受ける時を迎えるのです。
私たちも、主のことばを宣べ伝えます。世の終わりの審判と同時に、真の回復と解放の訪れのメッセージです。
清宣教師