33章です。1節には「エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていた時」と記されています。32章2節に関連付けて語られています。このような束縛と圧迫の中で、主のことばがエレミヤに臨みました。「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる」(2節)とエレミヤに語られました。なんと、力強い宣言でしょう。それから主は言われました。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなることを、あなたに告げよう。」(3節)。
昨年の年間聖句でした。エレミヤ333です。♪あのメロディーが浮かんできますね。わたしを呼べ♪・・・・田中さんの作曲した賛美、思い出しますね。やはり、メロディーがついていると、聖句を暗唱しやすいですね。主は、ご自身が創造主であることを宣言され、ひとつのことを必ず実行されるということを明らかにされています。それはバビロンを神の裁きの器として用いて、エルサレムと南ユダを破壊するというものです。しかし、その裁きをおこなわれたあと、主はユダとイスラエルを赦し、その繁栄を元通りにすると宣言されました(4節―13)。また、それに続く14節―26節の部分でも、終末論的なエルサレムとイスラエルの繁栄が預言的に述べられています。そして、最後の26節の「わたしは彼らの彼らの繁栄を元通りにし、彼らをあわれむ」ということばは、30章~33章のセッションの回復の希望というテーマの結論となっています。
なお、余談ですが、33章22節に「天の万象が数えきれず、海の砂が量れないように」という表現が出てきますが、ここでは、地球上のすべての砂粒の数は測りきれないように、宇宙にある星々の数もはかりきれないと言われています。ここ数百年前までは宇宙の星の数は、肉眼で数えられると考えていました。その結果、星の数は、数百、多くても千数百個とされていました。地球の砂粒の数と比較など出来ないと考えられてきました。ところが、いまでは、宇宙の星の数は、数千億の数千億倍もあり、地球上の砂粒の数よりも多いことが天文学者によって指摘されています、聖書の何気ない表現の中にも、創造主の知恵が隠されていることが分るようになりました。
創造主は、この世界を再び、元通りに回復される時が来ます。その時は、神は、ご自身の民を共に住み、「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」新しい世界へと変えられるのです(黙示録21章3節、4節)。
清宣教師