きょうの記事は、32章~33章のゼデキヤ王よりも前の時代に遡ります。ゼデキヤ王の前は、エコヌヤ(エホヤキン)が王でした。その前が、今日の35章1節に記されているエホヤキム王です。この頃、ひとつの事件がありました。エレミヤはそのことを記しています。
主のことばがあり、レカブ人の家に行き、レカブ人の全家を主の宮の一室に招きました。そこで、エレミヤは、ブドウ酒を満たしたつぼと杯を出して、彼らに「酒を飲みなさい」と勧めました(2節―5節)。ところが、彼らは「私たちはブドウ酒を飲みません」と応答しました(6節)。その理由について、彼らの先祖のレカブの子のヨナダブが、「あなたがたも、あなたがたの子らも、永久にブドウ酒を飲んではならない。」と命じたので、先祖代々、ブドウ酒を飲まなかったし、自分たちもブドウ酒を飲まないのだ、とエレミヤに釈明しました(6節―11節)。
そこで、主はエレミヤに、このことをユダの人とエルサレムの住民たちに伝えるように言われました。レカブ人たちは、先祖ヨナダブの酒を飲むなという命令に、これまで忠実に従ってきたこと、それに対して、あなたがたは、わたしがしもべ(預言者たち)を何度も遣わして、偶像に仕えてはならない、と命じたのに、あなたがたは聞かなかった。だから、あなた方の上に、すべての災いが来る、という主のことばをエレミヤは語りました(12節―17節)。それから、エレミヤはレカブ人に主のことばを伝えました。それはレカブ人たちの忠実な姿勢に対しての賞賛のことばでした。また、レカブ人の子孫を祝福する言葉を語りました(18節、19節)。
今日の個所は、主が一つの事例を挙げて、忠実であるとは、どのようなことかを示されました。忠実とは、たとい時代が変わり、場所が変わり、状況が変わっても、命じられたことを守り続けることであるということを示しました。そのように、主のことばに忠実な民を、主は求めておられます。現代でも、同じようなことがあるように思います。あることを頑なといえるほどに、守り続けている人たちがいます。しかし、本来は、主のみ言葉に対して、そのような忠実な姿勢を保つことが、主の前に求められていることです。
私たちの前にも、主のみことばがあります。「いつも喜んでいなさい」と主は言われます。「たえず、祈りなさい」と主は言われます。「すべてのことに感謝しなさい」と主は言われます。また、「神の国と神の義とを第1に求めなさい」と主は言われます。いつのまにか、忘れてしまうことが多いように思います。一瞬、一瞬、主のみことばを思い出して、実行しましょう。過去ではなく、未来でもなく、いま、このとき、主はわたしたちに語りかけておられます。聖霊なる神は、私たちのうちに、お住まい下さいます。ご自分を限りなく低くされて、私たちのうちに住まわれることを良しとされました。聖霊様は、私たちを過去の失敗や未来の思い煩いの罠から解放して下さいます。聖霊様はいま、語りかけて下さいます。聖なる、平和と喜びと愛とに満ちた、私たちの助け主、このお方が、私たちのうちにおられて、いま、私たちを教え、導き、力を与えて下さいます。主に心を向けて、忠実に、誠実に、仕えさせてください。
清宣教師