今日の48章も、かなり長いですね。諸国への審判の預言の中ではバビロンについてのものが最も大きな分量を占めていますが、次に多いのが、今日の48章のモアブについての預言です。
モアブとイスラエルの関係はふかく、イスラエルの父祖であるアブラハムの時までさかのぼると、アブラハムの甥がロトでした。ロトの子孫がモアブとアモンです。そういう意味では、モアブとイスラエルとの関係は、遠い祖先までさかのぼると親戚関係になります。しかし、世代を経るごとに、むしろ、両者の関係は悪化して、出エジプトの時代には、むしろ、モアブはイスラエルに対して対決姿勢をとるようになっていました。イスラエルが約束の地に定住した後も、モアブはイスラエルを攻撃し18年間もイスラエルを占領していたこともありました(士師記3章12節―14節参照)。この章を大きく分けると、4つのパートに分けることができます。
① モアブへの裁き(1節―10節)。「ああ、悲しいかな、ネボ。これは荒らされた。キルヤタイムも、辱められ、攻め取られた。」(1節)ネボは昔、イスラエルのルベン族によって建てられた町であり、キルヤタイムもルベン族に属する町でした。しかし、それらの町は今ではモアブの領地となっていました。しかし、これらの町もバビロンによって打ちのめされるのです。さらに、ホロナイム(3節)、ツォアル(4節)、ホロナイム(5節)の町々も裁きを受けるのです。そして、モアブの守護神ケモシュの偶像も、それに仕える祭司たちと共に捕囚にされるのです。
② モアブ、栄光から破局へ(11節―25節)。「モアブは若い時から安らかであった」(11節)とは、地形的にも外敵から守られ、長期間にわたって同じ器に入れられて熟成されるブドウ酒のように、モアブもまた平和のうちにあったことを表しています。しかし、「その日」(12節)には神の審判の前に、ホロン、ヤハテ、メファアテ、ディボン・・・ボツラなど(21節ー24節)、モアブ北部に位置する町々はバビロン軍の侵入によって荒らされ、町の者たちは連れ去られてしまうのです。
③ モアブの高ぶりが物笑いに(26節―39節)。「彼を酔わせよ。主に対して高ぶったからだ」(26節)と記されていますが、モアブが裁きを受けるのは、主に対して高ぶった罪の故でした。モアブは、イスラエルを物笑いの種にしたことがあります(27節)。このモアブの高慢を主は裁かれます。モアブには嘆きだけが残され、今度は、モアブは周囲の国々の物笑いの種となるのです(36節―39節)。
④ バビロンによる滅亡(40節―47節)。バビロン軍が鷲のように素早くモアブを攻撃する様を預言しています。実際、バビロンのネブカデレザルは、紀元前582年ごろ、モアブを攻撃し、主要な町々を攻めとり、指導者たちを連れ去り、もはやモアブは国家としての形を維持することが出来なくなります。モアブも、守護神ケモシュも裁きを受けるのです。それは、主に対する高ぶりのゆえであることが、繰り返し述べられています(42節)。ただし、主の審判がなされたあとに、「わたしはモアブの繁栄を元通りにする」という回復の預言がなされています(47節)。
新約聖書では、「あなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、どうして自分の目にある梁には気が付かないのですか」(ルカの福音書6章41節)と語られたイエス様のメッセージが記されています。モアブの高ぶりが、主の裁きを招く結果となりました。そして、せっかくの長い平和が破られました。わたしたちもまた、高慢になり大失敗をすることがあります。自分の目にある梁に気が付かず、他の人のあら捜しをしてしまう時です。私を高ぶりから解放して下さい。自分自身を良く知り、他の人の良いところを見出す人にしてください。
清宣教師