今日のエゼキエル書12章を読んだとき、すぐに心に浮かんだことがあります。
それは東海村のJCOで臨界事故が起きて、放射線による痛ましい死傷者が出ました。
そのとき、すでに、クリスチャンの識者たちの中に、原発の利用の停止を呼びかける人たちがいました。
それにもかかわらず、安全神話を唱えた原子力村の人たちがいました。
そして、多くの国民がその安全神話を信じました。
そして、福島第1原発の3基がメルトダウンするという事故が起こりました。
被曝した住民は、一時避難という名目で、2,3日で帰れるかのような情報操作により退避させられました。
そして、まだ、そこには帰れない方々が大勢おられます。
一方で、電力会社も、政府も、原発立地の自治体の首長たちも、御用学者たちもみな、再稼働を叫び、さらに、偽りの安全神話を復活させています。
昨年、女川原発のPR館を訪れた時の説明もそうでした。
津波対策は万全である、災害に対する対策は、完璧であると主張します。
あの東日本大震災の時には、女川原発の敷地内にある建物に町民たちが避難して助かったほど、ここは安全な対策がなされていると主張します。
こうして、放射性廃棄物が、何万年の間、私たちの子々孫々に至るまで脅威となることを、目の前から隠そうとしています。
人間だけでなくあらゆる生物に対する脅威となることを隠しています。
一方、単なる放射線廃棄物の最終保管により、私たちは安全に暮らせるかのような錯覚を抱かせようとしています。
原発に関わる電力会社を始め、多くの関連企業のあらゆる財力や人脈などを利用して、マズメディアを通して偽りの情報を流しています。
また、テレビの専門家と名乗る学者たちの解説を流しています。
こうして、都会のサラリーマンの人たちの中には、原発は日本の経済発展のためには不可欠であると信じている人がまだ、大勢います。
原発がなくなると、電気を使う生活は出来なくなるという偽りの宣伝を信じている主婦のひとたちもいます。
このまま再稼働していくときに、どうなるのでしょうか。
もし、今後、原発事故が起こるなら、日本には住むところが無くなるということも現実のものとなってしまうでしょう。
きょう、エゼキエル書12章を読んでみて、そういうことを考えさせられました。
清宣教師